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黒崎砲台跡

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軍縮の波が生んだ「東洋一」の秘密要塞

大正11年(1922)に結ばれたワシントン海軍軍縮条約により、世界の海軍力は制限を受けることとなりました。その余波を受け、廃棄される運命にあった巡洋戦艦「赤城」の巨大な主砲を陸上へ転用する極秘計画が始動します。舞台となったのは、玄界灘に浮かぶ長崎県の壱岐島でした。昭和3年(1928)8月25日に建設が始まった黒崎砲台は、5年近い歳月をかけて昭和8年(1933)2月14日に完成を迎えました。口径41センチ、砲身長18メートルという圧倒的なスケールを誇る連装カノン砲は「東洋一」と謳われ、対馬海峡をにらむ国防の最前線として君臨したのです。かつては戦艦「土佐」の主砲と語り継がれてきましたが、近年の調査で「赤城」のものであったという歴史の真実が明らかになっています。


島を震わせた轟音と厳戒態勢の記憶

大正13年(1924)頃から要塞化が進んだ壱岐島は、軍事機密の厚いベールに包まれました。写真撮影の禁止や厳しい検問が日常となり、かつてのどかだった海辺には軍事拠点特有の緊張感が漂うようになります。地元では長く「試射は一度きり」と伝えられてきましたが、旧陸軍の機密文書によれば、実際には少なくとも6回の射撃訓練が行われていました。1トンもの重さがある砲弾が放たれるたび、天地を引き裂くような爆音が島の空と海を激しく震わせ、人々の心にその威容を深く刻み込んだのです。


地震の爪痕と最新技術による歴史の保存

昭和25年(1950)の解体作業を経て、現在は巨大な穴が空に向かって口を開ける「砲塔井」が残るのみとなりました。平成17年(2005)3月20日の福岡県西方沖地震では地下施設に痛々しい亀裂が入り、現在は安全のため内部への立ち入りが厳重に制限されています。近年では、危険な暗闇を「Mavic 2 Pro」などの最新ドローンで撮影し、高精度な3Dモデルを作成する試みも進んでいます。令和6年(2024)12月には歴史の誤りを正す平和講演も開かれ、貴重な戦争遺産を正しく後世へ繋ぐ取り組みが続いています。


静寂の中に宿る平和へのメッセージ

隣接する名勝「猿岩」を訪れる観光客の歓声とは対照的に、黒崎砲台跡は今もひっそりと静まり返っています。実戦で火を噴く機会を得ないまま役割を終えたこの巨大な遺構は、戦火に巻き込まれなかった安堵とともに、戦争の虚しさを無言で語りかけてくるようです。要塞の建設に携わった先人たちへの敬意を忘れず、このコンクリートの廃墟が伝える歴史の教訓を私たちは重く受け止めなければなりません。潮風に吹かれるこの場所が、平和の尊さを再確認するための大切な「記憶の扉」であり続けることを願います。

(2026年3月執筆)

この地において平和の尊さを訴えつづけています。

PHOTO:PIXTA

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