記事梅津会館のイメージ画像

梅津会館

  • 文化・教育施設

函館で財を成した実業家が故郷に贈った庁舎

茨城県常陸太田市の高台、鯨ヶ丘に建つ梅津会館は、1936年(昭和11年)に太田町役場として竣工した鉄筋コンクリート造2階建ての庁舎です。建設費を寄付したのは、太田村出身の実業家・梅津福次郎氏です。同氏は13歳で地元の醤油醸造家に奉公に出て、23歳のとき、結婚したばかりの妻とともに函館へ渡りました。納豆売りや塩魚の行商から商いを始め、のちに末広町に梅津商店を構えます。函館では4度の大火で財産を失いながら、そのたびに被災者向けの貸家づくりや食料の配給を行い、事業を立て直したと伝えられています。成功は生まれ故郷があってこそという報恩の思いから、同氏は学校や寺院へ多額の寄付を重ねました。老朽化した町役場の改築に際しては、建設費3万5千円の全額を寄付として申し出ています。工事では関東大震災の教訓から耐震性の高い鉄筋コンクリート造が採用され、土蔵造りの商家が並ぶ街並みに、タイル張りで角塔を備えた洋風の庁舎が姿を現しました。


雨の開庁式と、町が見送った胸像

開庁式典は竣工の年の10月に2日間にわたって催され、梅津福次郎氏や県知事をはじめ約600人が列席しました。当時の新聞は新庁舎を「県下第一」と評し、その壮麗さを伝えています。町には祝賀のアーチが掲げられ、太神楽や仕掛け花火などの余興が用意されましたが、あいにくの雨で延期や中止となったものもありました。夜には庁舎全体がイルミネーションで照らされたと報じられています。式典初日には、町の恩人への感謝を込めて、役場前で同氏の胸像の除幕式が行われました。しかし1943年(昭和18年)、戦時下の金属類回収によって胸像は供出されます。胸像が再び役場前に建てられたのは、太田町が市制を施行して常陸太田市となった1954年(昭和29年)のことでした。


市役所から郷土資料館へ、震災を越えた復原

庁舎はその後も常陸太田市役所として使われ、市役所が新庁舎へ移った1978年(昭和53年)に、寄付者の功績を後世に伝えるため「梅津会館」と改称されました。2年後には2階に郷土資料館が開館し、のちに1階も展示室となっています。1999年(平成11年)には国の登録有形文化財に登録されました。東日本大震災で被災した後、市は保存活用計画を定め、戦後に増築された新館を解体したうえで、耐震補強と創建当時の意匠の復原を進めました。工事中には、撤去されたと考えられていた大理石カウンターの天板の一部や、創建当時の壁紙が見つかっています。2014年(平成26年)11月にリニューアルオープンし、竣工90周年を迎えた2026年(令和8年)には記念展などの催しが開かれています。


一人の報恩と、町が守り継いだ建物

館内の玄関や階段には地元の真弓山で産出した寒水石と呼ばれる白い大理石が使われ、正面車寄せのアーチには陶製のテラコッタ装飾が施されています。1階北側の外壁に残る小さな台と踏み石は、戦中・戦後に食糧配給の窓口として使われた跡とされています。故郷への恩返しとして贈られた庁舎は、戦争や震災を経て、地域の歴史を伝える施設として使われつづけてきました。その保存と復原には、市や地域の関係者が長く取り組んできました。鯨ヶ丘に立つこの会館が見つめてきた90年に、思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

                        (2026年10月執筆)

PHOTO:写真AC

同じ都道府県の記事

同じカテゴリーの記事

ファイナルアクセス会社サイトはこちら

残り日数で探す

記事ランキング※24時間以内

Final Access Books

注目コンテンツ これが最後です

都道府県から探す