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ハンマーヘッドクレーン

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遥か英国から海を渡り、近代化の荒波を支えた鋼鉄の巨人

1913年(大正2年)、イギリスのコーワンス・シェルドン社で製造された巨大な機械は、近代化に燃える日本へと運ばれました。翌1914年(大正3年)、新港埠頭の左突堤に「50トン定置式電気起重機」として設置。総工費は約10万8551円、現代の価値で10億円を超える国家規模の投資でした。組み立てたのは石川島造船所の職人たちです。高さ30.7メートルに及ぶその姿は、形状が金槌に似ていることから「ハンマーヘッドクレーン」と親しまれ、軍用ではなく唯一、平和な貿易を担う商業用として港の最前線で稼働。試験では65トンを吊り上げる怪力を見せ、人海戦術に頼っていた荷役作業に劇的な革命をもたらしました。

 

関東大震災の猛火を耐え抜き、復興の希望となった不屈の象徴

1923年(大正12年)の関東大震災では周囲が壊滅する中、強固な基礎を持つこのクレーンだけは奇跡的に無傷で立ち続け、わずか8日で復興の稼働を再開しました。1934年(昭和9年)にはベーブ・ルースら大リーガーが降り立つなど、華やかな客船時代の舞台にもなりました。戦後の接収を経て高度経済成長期を支え、港の人々の汗と熱気をその鉄躯に刻み込み、横浜の誇りとして長く愛され続けてきたのです。

 

時代の主役を譲り、近代化産業遺産として歩む新たな航路

2001年(平成13年)、88年にわたる現役生活に幕を下ろした後は保存の道へ。2007年(平成19年)に近代化産業遺産、2018年(平成30年)には選奨土木遺産に認定されました。2019年(令和元年)秋には足元が「ハンマーヘッドパーク」として整備され、客船ターミナルとともに再生。現在は世界中の豪華客船を迎え入れる歴史の証人として、みなとみらいの新しい風景の中に静かに溶け込んでいます。

 

幾多の荒波を越えた鉄の魂が、横浜の未来を照らし続ける

大正の汽笛から震災の業火、そして現代の賑わいまで、この巨躯が見守ってきた記憶は計り知れません。港を支えた先人たちの情熱と不屈の精神を今に伝えるその威容は、これからも横浜の宝として輝き続けることでしょう。この先も潮風を受けながら、訪れる人々に勇気と希望を分け与える存在であり続けることが願われます。横浜の歴史を紡ぐ鋼鉄の守護神に、深い敬意と感謝の念を捧げます。

(2023年5月執筆)

PHOTO:PIXTA

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