敷島浄水場配水塔
- 文化・教育施設
金井彦三郎が描いた、街を潤す設計図
昭和2年(1927年)、前橋の敷島の地に配水塔の建設が始まりました。設計を指揮したのは工学博士・金井彦三郎氏。給水人口8万人、最大給水量1万6000立方メートルという、当時の前橋の人口を超える規模を見据えた計画のもと、2年の歳月をかけて昭和4年(1929年)3月21日に完成を迎えました。高さ37.4メートル、容量892立方メートルの鋼鉄製水槽は断熱材と銅板で覆われています。隣接する構場事務所(現在の水道資料館)も同じ年に完成し、エメラルドグリーンの瓦屋根が特徴的な洋風建築として今も残っています。完成翌年の昭和5年(1930年)には水道行政を担う「水道課」が発足し、本格的な水道整備の時代が始まりました。
戦火をくぐり抜けた、命の水
昭和20年(1945年)8月5日、前橋は激しい空襲に見舞われ、市内の給水栓の約6割が破壊される被害を受けました。しかし郊外にあった敷島浄水場と配水塔は奇跡的に戦火を免れ、傷ついた市民のもとへ水を送り続けました。水道局の職員や地元の中学生たちが瓦礫を掻き分け、わずか1ヶ月で水道網を復旧させたと伝えられています。戦後は昭和31年(1956年)からの拡張事業、昭和39年(1964年)からの第3次拡張事業と、人口増加や高度経済成長に応える形で水源の整備が進められていきました。
ツツジと市民に見守られて
浄水場の開放日には、竣工当時に水道技師の黒沼才一郎氏らが九州から取り寄せた約370本のツツジが一斉に花開きます。周辺の敷島公園では、高くそびえる配水塔が敷島公園のシンボルとして親しまれてきました。平成元年(1989年)には水道資料館が開館し、毎年約2300人の小学生が社会科見学に訪れています。昭和60年(1985年)には「全国近代水道百選」に選出され、平成8年(1996年)には国の登録有形文化財に、群馬県建設技術センターの「ぐんまの土木遺産」にも選ばれました。
新しい塔へ、受け継がれる役目
92年にわたり風雪に耐えてきた旧配水塔も老朽化が進み、平成27年(2015年)度から新配水塔の基本設計が始まりました。令和元年(2019年)度から令和2年(2020年)度にかけて工事が行われ、直径12.7メートル、高さ37.7メートルのステンレス製の新配水塔が姿を現しました。令和3年(2021年)2月18日に供用が開始され、同年3月に築造工事が完了。震度7クラスの地震にも耐える構造や緊急遮断弁など、新たな備えも施されました。役目を終えた旧配水塔については、前橋市民の心の原風景として、現在保存のあり方について検討が進められています。
(2026年7月執筆)
PHOTO:PIXTA







