【久留里線】上総亀山駅 廃駅
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房総横断の夢を背負った終着駅の誕生と苦難
昭和11年(1936)3月25日、久留里線が久留里駅から延伸され、その終着駅として上総亀山駅は産声を上げました。千葉県君津郡亀山村大字藤林に位置するこの駅の開設は、山深い地域に暮らす人々にとって悲願の交通路確保であり、まさに近代化の象徴でした。駅名の由来となった亀山は、亀の形に似た山が多い地形から名付けられ、古くからの伝統技術「上総掘り」が息づく風土とともに歩み始めました。しかし、その歴史は平坦ではありませんでした。太平洋戦争末期の昭和19年(1944)には、戦局悪化により不要不急線として営業休止となり、レールまでもが資材として供出されるという過酷な運命を辿りました。戦後の昭和22年(1947)にようやく汽笛が戻り、房総半島を横断して外房の大原駅へと結ぶ「木原線」構想の重要拠点として、再び光が当てられたのです。
林業の活気とダム湖の観光地に刻まれた記憶
かつての上総亀山駅は、周辺の山々から切り出された木材が集まる物流の要所でした。昭和49年(1974)に貨物取扱が廃止されるまでは、構内の側線に山積みの木材が並び、活気に満ちていたといいます。また、昭和56年(1981)に千葉県最大級の亀山ダムが完成すると、駅周辺は美しいダム湖を中心とした観光地へと姿を変えました。国鉄時代の重厚なエンジン音を響かせるキハ30形などの気動車に揺られ、紅葉狩りや釣りを楽しむ人々がこの地を訪れました。駅前に今も残る「上総町商工会」と記された古い街灯は、昭和29年(1954)から昭和45年(1970)まで存在した自治体の記憶を今に伝え、地域の人々の暮らしに寄り添い続けてきた駅の歩みを静かに物語っています。
時代の波と利用者の減少がもたらした静寂
時代の変遷とともに駅の姿は縮小を余儀なくされました。平成24年(2012)3月17日のダイヤ改正で無人駅となり、かつての交換設備も撤去され、現在は1面1線の「棒線駅」となっています。利用状況も厳しく、JR発足時の昭和62年(1987)度には一日平均823人いた通過人員が、令和5年(2023)度には64人まで落ち込み、約9割もの減少を記録しました。日中には5時間以上も列車が来ない空白時間が生じ、かつて通学の足として賑わったホームも、今では自家用車やバスへの転換が進み、深い静寂に包まれています。
鉄路への敬意と次なる地域交通へのバトン
長きにわたり房総の奥座敷を支えてきた久留里線(久留里〜上総亀山間)ですが、令和5年(2023)からの検討会議を経て、ついに鉄道事業廃止の方針が固まりました。JR東日本が20億円の支援を拠出し、今後はバスを中心とした新たな交通体系へとバトンが渡されます。線路の終端にある車止めは、未完に終わった房総横断の夢の跡であり、訪れる者に切ない旅情を抱かせます。約90年にわたり地域を繋いできた鉄路への深い敬意とともに、その記憶は形を変えて未来へと語り継がれていくことでしょう。
(2026年2月執筆)

懐かしい記憶が蘇るという方もいらっしゃるのではないでしょうか。

上総亀山駅の歴史と伝統は永遠に語り継がれることでしょう。
PHOTO:写真AC







