Final 2026年3月31日 記事留萌本線 廃線のイメージ画像 History 115年

留萌本線 廃線

  • 乗り物

明治43年(1910)、深川駅から留萌駅を結ぶ官設鉄道としてその産声を上げた留萌本線。その歴史は、留萌港への石炭や木材、海産物輸送を目的とした「資源の道」としての始まりでした。特に昭和5年(1930)以降は、恵比島駅で接続する私鉄・留萌鉄道を介して雨竜炭田からの石炭が運び込まれ、日本の近代化と地域経済を力強く支える産業の大動脈として機能しました。

地域社会にとっても、当路線は単なる移動手段以上の存在でした。厳冬期の猛吹雪の中でも運行を守り抜く鉄道は、通学する学生や通院する高齢者にとっての命綱であり、地域住民の生活のリズムそのものであったと言えます。また、平成11年(1999)にはNHK連続テレビ小説『すずらん』の舞台となり、恵比島駅が劇中の「明日萌(あしもえ)駅」として脚光を浴び、SLが運行されるなど、観光資源としても全国のファンを魅了し続けました。

しかし、エネルギー革命による炭鉱の閉山、沿線人口の減少、そして並行する高規格道路の整備により、その役割は徐々に変化していきました。平成28年(2016)の留萌〜増毛間、令和5年(2023)の石狩沼田〜留萌間の廃止を経て、ついに残る深川〜石狩沼田間も、令和8年(2026)3月31日(火)をもって営業を終了します。長年の風雪に耐えた橋梁など土木構造物の老朽化と、極端な利用者の減少が維持困難の主な原因となりました。最期の期間はICカード等は利用できず、現金のみでの運賃収受となるなど、昔ながらの鉄道の姿を留めつつ走り抜けることになります。

115年以上にわたり、北空知の風雪に耐え、人々の営みを運び続けた留萌本線。その運行を最後まで安全に守り抜こうとする運営主であるJR北海道および関係者の尽力に、心からの敬意を表します。ファンの皆様におかれましても、車窓から眺めたのどかな田園風景や、雪原に響き渡るディーゼル音の記憶を、いつまでも心の中で温め続けていただければ幸いです。

(2026年2月執筆)

初夏の秩父別駅でしょうか。

長きに渡り、本当にありがとうございました。

PHOTO:写真AC

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