留萌本線 廃線
- 乗り物
明治の開拓精神が築いた北の動脈とその黄金時代
明治43年(1910)11月23日、深川駅から当時の留萠駅までの区間が開通し、陸の孤島であった留萌の地に待望の鉄路が産声を上げました。この開拓の足跡は、内陸の資源を港へと運ぶ物流の要として、北海道の近代化を力強く牽引することとなります。とりわけ、私財を投じて鉄道敷設に執念を燃やした五十嵐億太郎の情熱は地域の礎となり、昭和5年(1930)には私鉄の留萌鉄道も開業を迎えました。最盛期の留萌駅は、国鉄羽幌線や天塩炭鉱鉄道など4つの路線が集結する一大ターミナルとして君臨し、石炭や木材を満載した貨車が行き交う活気に満ちあふれていました。北の空の下、蒸気機関車が吐き出す煙は、まさに地域の繁栄を象徴する風景だったのです。
炭鉱の灯火と人々の温もりに彩られた記憶
鉄道は地域住民の暮らしそのものでした。沼田町の昭和地区には冬の買い物を支える「隧道マーケット」があり、2,000人超の炭鉱家族の笑顔が弾けていました。港から戻る貨車が運ぶニシンや大根の香りは、山間部に季節の訪れを告げる風物詩でした。平成11年(1999)のドラマ「すずらん」で恵比島駅が脚光を浴び、SLの汽笛が再び響いたことも、多くの人々の心に深く刻まれています。
時代の波に抗えず、刻一刻と迫る終着の時
エネルギー革命や過疎化の波は非情でした。平成28年(2016)12月に増毛間が廃止され、令和5年(2023)3月31日には留萌駅を含む区間も113年の歴史に幕を下ろしました。ラストランの夜、恵比島駅で掲げられた手作りの横断幕や揺れるペンライトの光は、地域がいかに鉄路を愛していたかを物語っています。残る深川・石狩沼田間も令和8年(2026)3月末をもって全線廃止されることが決定しています。
北の大地を駆け抜けた116年の功績に捧ぐ敬意
明治から令和まで、三つの時代を駆け抜けた留萌本線。厳しい寒風に耐え「ダルマ駅舎」を見守ってきた人々や、石炭を運び続けた鉄道マンの想いが、この長い歴史を紡いできました。間もなく線路は途切れ、警報機の音も止みますが、この地に鉄路が通っていたという記憶は、後世まで誇り高く語り継がれていくことでしょう。北の空に消えていく最後の汽笛まで、私たちはその歩みに心からの感謝を捧げます。
(2026年2月執筆)

初夏の秩父別駅でしょうか。

長きに渡り、本当にありがとうございました。
PHOTO:写真AC







