【函館本線】仁山駅 廃駅
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函館本線の難所、峠下に挑む蒸気機関車たちの息遣いが聞こえてくるような場所、それが仁山駅です。当駅の起源は古く、昭和11年(1936)9月に開設された「仁山信号場」に遡ります。函館から小樽方面へ向かう際、20パーミルもの急勾配が連続するこの区間は、鉄道運行上の大きな隘路でした。そのため、列車交換と勾配対策を目的としたスイッチバック設備を持つ信号場として産声を上げたのです。
戦時体制下の昭和18年(1943)には、重量貨物列車の運行を助けるための「加速線」が整備されるとともに、仮乗降場として旅客扱いも開始されました。この時、駅へのアクセス道路用地を提供した大道寺小市医師の功績は、構内の顕彰碑として今に語り継がれています。戦後は地域住民による熱心な駅昇格運動が何度も行われ、生活の足として定着していきました。
昭和41年(1966)に下り専用の迂回路「藤城線」が開通すると、加速線はその役目を終えますが、昭和62年(1987)の国鉄分割民営化に伴い、ついに正式な「仁山駅」へと昇格を果たしました。木造の駅舎や、かつての加速線の遺構は、鉄道が地形と闘ってきた歴史を色濃く残しています。
しかし、利用者の減少には抗えず、令和7年(2025)12月、JR北海道は当駅の廃止を発表しました。令和8年(2026)3月14日のダイヤ改正をもって、90年に及ぶ歴史に幕を下ろすこととなります。長きにわたり北の大地の輸送を支え、地域と共に歩んだ駅を運される関係者様に、深く敬意が表されます。鉄路の記憶が刻まれたこの地へ、廃止となる前にぜひ一度、足を運んでみてください。
(2026年2月執筆)

スイッチバック設備を持つ信号場として活躍した時代の記憶です。

多くの人の思い出を詰め込んで、その歴史の幕を下ろします。
PHOTO:写真AC







