牧丘町立牧丘第三中学校 閉校
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秩父山系の懐に抱かれた学び舎の記憶
秩父山系の険しい嶺々に囲まれた山梨県牧丘町。この地に刻まれた教育の歴史において、牧丘町立牧丘第三中学校は欠かせない存在でした。昭和44年(1969)、近隣の中学校との統合に伴い笛川中学校が誕生し、牧丘第三中学校はその単独校としての歩みに幕を下ろしました。かつての校舎は、笛吹川の支流である琴川や鼓川のせせらぎが聞こえる場所に位置し、厳しい冬の寒さや豊かな森の息吹を感じながら、生徒たちはたくましく成長していったのです。昭和30年代(1955から1964頃)には養蚕やコンニャク栽培が盛んで、桑の葉を食む蚕の音が響く中、子供たちは元気に学び舎へと通っていました。
養蚕に励む女性たちが支えた日常
当時の地域の暮らしを根底で支えていたのは、昼夜を問わず養蚕に励む働き者の女性たちでした。集落の路地には彼女たちの活気ある声が響き、山々からは林業に勤しむ大人たちの力強い掛け声がこだましていたものです。昭和40年代(1965以降)に入ると、地域は一大決心をして果樹栽培へと舵を切り、桑畑は甘い香りを放つ巨峰の葡萄畑へと劇的な変貌を遂げました。移りゆく時代の景色の中で、中学校は常に地域コミュニティの核として、人々の心の拠り所であり続けました。
半世紀の静寂を経て進む解体への歩み
閉校から半世紀以上の時が流れ、令和5年(2023)12月の山梨市議会において、旧牧丘第三中学校解体工事設計事業として、アスベスト調査や解体設計にかかる予算が正式に計上されました。厳密な調査や精密な設計業務を経て、令和6年度(2024)中には校舎の撤去と跡地の造成工事が完了する見通しです。昭和35年(1960)には1万人近かった旧牧丘町の人口も、平成27年(2015)には4543人へと半減しており、時代の荒波に耐え抜いた思い出の建築物も、ついにその役目を完全に終えて姿を消そうとしています。
大地へと還る学び舎の魂と新たな息吹
かつての活気ある山村の営みは、現在では山梨県立博物館の「山村の営み」などの展示として大切に保存され、後世へと語り継がれています。一方で、現在の牧丘地域はワイン特区として認定を受け、かつての学び舎周辺にも新しい風が吹き込んでいます。令和6年度(2024)に工事が終われば、校舎の記憶は静かに大地へと還ります。長きにわたり地域を見守り、多くの卒業生を送り出してきた牧丘第三中学校に対し、深甚なる敬意と感謝を捧げ、その物語を永遠に記憶に留めたいと思います。
(2026年3月執筆)
PHOTO: 棚町宜弘 様







