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猿橋

  • 建物・施設

猿たちの知恵に導かれた伝説の奇橋

山梨県大月市の深い渓谷に架かる猿橋は、岩国の錦帯橋などと並び日本三奇橋の一つに数えられます。その起源は古く、推古天皇の御代である西暦600年頃、百済から渡来した造園博士の志羅呼が、猿たちが藤の蔓を巧みに操って対岸へ渡る姿を見て、架橋の着想を得たと伝えられています。鎌倉時代の嘉禄2年(1226年)にはすでに地名として定着しており、戦国時代には武田氏が抗争でたびたび陣を張るなど、軍事上の要衝として歴史の表舞台に何度も登場しました。江戸時代には甲州街道の整備とともに多くの旅人が行き交い、宝暦5年(1755年)には橋畔に「猿橋記碑」が建てられ、その独特な桔橋(はねばし)の構造が類まれなる名所として不動の地位を築くに至ったのです。


人々の暮らしと信仰を支える情愛の架け橋

この橋は古くから信仰や地域の暮らしと密接に結びついてきました。室町時代の文明19年(1487年)の『廻国雑記』には、橋が朽ちた際には全国の猿飼いたちが集まって勧進し架け直したという説が紹介されており、古くから人々の中に様々な伝承が息づいていたことがうかがえます。また、橋のたもとの山王宮では、毎年7月の祭りにその年生まれた赤子の数だけ座布団を重ねた神輿が橋を渡り、健やかな成長を願う微笑ましい光景が見られます。機能美を追求した桔木(はねぎ)の上の小さな屋根の陰影は、今も訪れる者の心を優しく包み込んでいます。


時代の荒波を越えて受け継がれる伝統美

近代化の中でも猿橋は伝統を守り抜きました。明治33年(1900年)の改修では、増大する交通量に対応するため幅員を広げて桔木を増やすなどの大きな変更が加えられましたが、桔橋形式だけは残そうとする当時の人々の矜持によって、その伝統的な姿が保たれました。昭和9年(1934年)に新猿橋が開通すると道路橋としての使命を終え、歩行者専用の静かな名所となります。昭和59年(1984年)には、嘉永4年(1851年)の資料を基に内部へH鋼を忍ばせる復元工事が行われ、伝統美と現代の安全性が融合した現在の姿へと生まれ変わったのです。


次世代へ繋ぐ清らかな瀬音と守り手の心

現在も地元の中学生たちが毎週木曜日に橋を清掃するなど、歴史的遺産を守る活動が世代を超えて続いています。眼下には、明治45年(1912年)に完成した国内最大級の鉄筋コンクリート造りの水路橋や新しい橋が重なり、日本の土木建設技術の歩みを一度に眺められる希有な景観を作り出しています。幾多の困難を越えてきた猿橋。その美しい木組みの重なりは、先人たちの知恵と情熱を今も変わらず、桂川のせせらぎと共に未来へと語り継いでいるのです。

(2026年3月執筆)

日本三奇橋のひとつとして知られます。

PHOTO:PIXTA

浮世絵師「歌川広重」が全国の名所を描いた晩年の人気シリーズ「六十余州名所図会」。

六十余州名所図会

猿橋も描かれています。永久保存版としてお手元に確保されてはいかがでしょうか?

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