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西海橋

  • 建物・施設

陸の孤島を救った東洋一のアーチ橋の誕生

長崎県佐世保市と西海市を隔てる伊ノ浦瀬戸は、最大潮流が9ノットに達する過酷な環境にあり、かつては「魔の海峡」として恐れられていました。架橋前の西彼杵半島北部は「陸の孤島」と呼ばれ、生活の困窮が続いたことから、昭和初期に大規模な架橋運動が始まりました。太平洋戦争による中断を経て、1950年(昭和25年)に占領軍の対日援助資金を活用した事業として着工し、その後1952年(昭和27年)に有料道路制度の適用を受けて国の直轄プロジェクトとして工事が継続されました。5年の歳月と約5億5千万円の巨費を投じて1955年(昭和30年)10月に開通した西海橋は、当時「東洋一のアーチ橋」と称賛され、地域の悲願を叶えるとともに戦後日本の長大橋建設の原点となりました。


若き技術者たちの情熱と歴史的瞬間の朝

設計を託されたのは、当時20代の若手技術者たちでした。電子計算機がない時代、わずか6名のチームが手回し式の計算機を駆使し、わずか4ヶ月半で複雑なトラス構造の設計を完了させました。激しい潮流を克服するため、世界初となる空中から部品を吊り上げて組み立てる工法が採用されました。極寒の海風が吹きつける冬の夜明け前、緻密な接合作業を経て中央のアーチが無事に閉合した瞬間、朝日を浴びた美しい橋の姿は、当時の事業責任者であった村上永一氏の著書に「大村湾にのぼる朝日をこの時ほど美しくそして感激してあおいだことはありません」と記されるなど、関係者に深い感動を与えたと伝えられています。


無料開放から重要文化財への歩み

日本初の海峡横断橋として誕生した西海橋は、1970年(昭和45年)に建設費の償還を終えて無料開放され、地域の大動脈として機能し続けています。2006年(平成18年)には隣接して新西海橋が開通し、その桁下の歩道から初代の美しい姿を堪能できるようになりました。そして2020年(令和2年)12月には、戦後建設の橋梁として全国で初めて国の重要文化財に指定され、歴史的な土木遺産として国から高く評価されています。


先人の知恵を伝える美しい風景と未来への継承

春には轟く大渦潮と満開の桜、そして銀色のアーチが一体となった絶景が広がり、訪れる人々を楽しませています。この橋の建設で培われた世界水準の技術は、「橋は西から」とも称され、のちの長大橋建設へと引き継がれる輝かしい出発点となりました。戦後日本の技術の粋を集め、過酷な自然に挑んだ先人たちの熱意と功績が、これからも地域の誇りとして永く後世へと継承されていくことが期待されています。

(2023年7月執筆)

PHOTO:PIXTA

吉田巌氏。日本を代表する橋梁技術者です。

吊橋を支える基礎

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