記事男木島灯台のイメージ画像

男木島灯台

  • 文化・教育施設
  • 建物・施設

海運の高まりが求めた、新たな光

1894年(明治27年)に始まった日清戦争の終結後、日本政府の海運助成策によって瀬戸内海の船舶交通量が急増し、航行安全のための新たな灯りが求められました。1895年(明治28年)5月、逓信省航路標識管理所の手によって建設工事が始まり、同年12月10日、備讃瀬戸の海に石油灯を光源とした明かりが初めてともされました。総工費は1万820円25銭2厘。幕末から明治初期の灯台建設はブラントンらお雇い外国人技術者の指導に依存していましたが、本灯台は彼らの離日後、日本人技術者の手だけで築き上げられました。光源はその後、1933年(昭和8年)にガス灯へ、1961年(昭和36年)には電化され、1987年(昭和62年)4月に無人化されるまで、約90年にわたって灯台職員が家族とともに明かりを守り続けました。


庵治石が生んだ、無塗装の美しさ

灯台は香川県高松市男木町字洲鼻、島民から「トウガ鼻」と呼ばれる岬に建つ、高さ約14メートルの円筒形の石造構築物です。地元香川の銘石「庵治石」がふんだんに用いられ、水晶に匹敵する硬度と耐水性を持つこの石が、緻密に切り出され積み上げられています。視認性のために白や赤に塗られるのが日本の灯台の常識ですが、本灯台は庵治石の自然な石肌を生かすため、あえて無塗装のまま仕上げられました。このような総御影石造りで無塗装の洋式灯台は、山口県の角島灯台、六連島灯台と合わせて国内にわずか3基しかありません。内部には庵治石を削り出した螺旋階段や、青銅の鋳物梯子が続き、最上部の灯室には避雷針を備えたドーム型の灯籠が載っています。灯火は10秒に1回、10万カンデラの白い閃光を放ち、暗礁の位置に応じて緑や赤にも色を変える分弧の機能も備えています。


映画のまなざしと、島の記憶

孤島での過酷な任務と家族の絆を描いた1957年(昭和32年)公開の映画『喜びも悲しみも幾歳月』では、この灯台と職員家族の暮らしが舞台のモデルとなりました。近年ではドラマやゲームの舞台としても登場し、ノスタルジックな風景を求める人々が訪れるようになっています。かつて職員家族の生活音に満ちていた旧吏員退息所は、高松市の改修を経て1994年(平成6年)に「男木島灯台資料館」として新たな歩みを始めました。灯台が見つめる備讃瀬戸東航路は、明石海峡に次ぐ1日約900隻もの船が行き交う海の要衝であり、100年以上にわたり潮風にさらされながらも、庵治石は竣工当時の美しい石肌を保ち続けています。


受け継がれる、石造灯台の価値

1985年(昭和60年)に「Aランク保存灯台」に認定されたのを皮切りに、2003年(平成15年)には土木学会の選奨土木遺産、2008年(平成20年)には経済産業省の近代化産業遺産に選ばれました。2021年(令和3年)には旧退息所や旧倉庫などとあわせて国の登録有形文化財に登録され、2025年(令和7年)10月の文化審議会の答申を経て、2026年(令和8年)1月15日、正式に国の重要文化財に指定されました。旧日時計や石垣なども「附」として保護され、日本人技術者の手で築かれたこの灯台は、130年以上にわたり瀬戸内海を照らし続けています。

(2026年7月執筆)

PHOTO:写真AC

名作映画「喜びも悲しみも幾歳月」。当地はゆかりの地の一つです。

喜びも悲しみも幾歳月

永久保存版としてお手元に確保されてはいかがでしょうか?

同じ都道府県の記事

同じカテゴリーの記事

ファイナルアクセス会社サイトはこちら

残り日数で探す

記事ランキング※24時間以内

Final Access Books

注目コンテンツ これが最後です

都道府県から探す