豊稔池堰堤
- 建物・施設
悲痛な水不足を乗り越えた近代土木遺産の誕生
香川県西端部の大野原地域は、古くから慢性的な水不足に悩まされる過酷な風土でした。大正時代に二度の大干ばつに見舞われたことを契機として、1924年(大正13年)に県営のため池築造が請願されました。国内のダム建築の第一人者である佐野藤次郎博士を顧問に迎え、1926年(大正15年)3月に起工。延べ15万人もの地元住民が過酷な肉体労働に従事し、脆弱な岩盤という危機をもマルチプルアーチ式への設計変更で克服しました。建設途中の1929年(昭和4年)5月に、現地を視察した三土忠造大蔵大臣によって「豊稔池」と命名され、そして1930年(昭和5年)3月末、五穀豊穣の願いを込めて築かれた日本最初期のコンクリート造溜池堰堤が堂々と完成を迎えました。
命の水を尊ぶ伝統と人々の絆
豊稔池の完成により、約500ヘクタールの農地は黄金色の稲穂が波打つ美しい田園へと劇的に変貌しました。毎年7月中下旬に行われる「ゆるぬき」は、豪快な放水で夏の訪れを告げる風物詩ですが、その時期は下流の貯水状況を見極めて決定されます。ここには、一滴の水も無駄にしないという農家の人々の深い執着と感謝が息づいており、現在は特産のレタス栽培を支える大きな力となっています。
時代の変遷と重要文化財への歩み
完成から半世紀を経て老朽化が進んだため、1989年(平成元年)から1993年(平成5年)にかけて約20億円を投じた大規模な防災工事が実施されました。この改修の際、貴重な旧バルブなどは大切に保管され、のちに文化財の附指定を受けています。1993年(平成5年)以降は周辺の公園整備も進み、2006年(平成18年)12月には国の重要文化財に指定され、今も秘境の魅力を漂わせています。
先人の偉業を未来へつなぐ祈り
かつて干ばつに泣いた大地を救うため、知恵と団結力で未曾有の難工事を成し遂げた先人たちの情熱と功績には、深い敬意を表せざるを得ません。中世の古城を思わせる重厚なマルチプルアーチ堰堤は、四季折々の美しい自然と調和しながらその雄姿を今に伝えています。この豊かな実りをもたらす命の遺産と、そこに込められた切実な祈りの記憶が、今後も末永く次世代へと継承されることが願われます。
(2026年7月執筆)

中世ヨーロッパの古城のような外観とその地域を思う先人達の史実は今なお多くの人を魅了します。
PHOTO:写真AC







