岩手県公会堂
- 文化・教育施設
岩手県公会堂の誕生と佐藤功一氏の設計
岩手県公会堂は、盛岡城の大手先にあたる盛岡市内丸に建っています。始まりは1923年(大正12年)、皇太子(のちの昭和天皇)のご成婚を記念する事業として、県議会と盛岡市の関係者が当時の牛塚虎太郎知事に建設を要請したことでした。総工費43万8000円のうち20万円を盛岡市が寄附し、約2年の工事を経て1927年(昭和2年)6月に竣工しました。設計は、のちに早稲田大学大隈記念講堂や日比谷公会堂を手がけた建築家の佐藤功一氏です。建物は鉄筋コンクリート造2階建て、地下1階で、建築面積は1,580平方メートルです。正面中央には高さ約24メートル、6層の塔屋が立っています。外壁はスクラッチタイル貼りで縦の線を強調し、内部にはアール・デコ様式の装飾が施されました。館内には県会議事堂、大ホール、西洋料理店、皇族用の貴賓室が一体に設けられました。
講演・音楽の舞台から戦中戦後の転用へ
落成から間もない時期には、盛岡出身の新渡戸稲造氏が登壇して講演を行いました。開館記念の音楽大演奏会には、同じく盛岡出身のバリトン歌手、照井栄三氏が出演しています。翌年秋には、陸軍特別大演習に際して館内に大本営が置かれました。戦時末期には岩手県警察部が館内に移転し、1945年(昭和20年)の終戦後は連合国軍に接収されて軍用病院となりました。接収が解かれると、地方自治法に基づく新たな県議会がここで開かれ、地下には深澤紅子氏らが美術研究所を開設しています。県議会議事堂としての利用は、1965年(昭和40年)まで38年間続きました。
保存の決定と築100年に向けた計画
戦後の改修では、大ホールの可動式の長椅子が固定座席に改められました。平成の半ばには解体も含めた議論が起こり、市民や専門家によるシンポジウムなどを経て、岩手県が全面保存を決定しました。2006年(平成18年)10月18日には国の登録有形文化財に登録され、その3年後には大ホールのエントランスなどを創建時の姿に近づける改修が行われました。竣工から約90年にわたって営業した地下の「公会堂多賀」はその後閉店し、跡地には「いわて若者カフェ」が開設されています。県は2026年(令和8年)9月28日に保存活用計画の最終案を示しました。案には、約600席の固定座席を外して多目的ホールとすること、空調設備の導入、外壁の補修、見学順路の設定などが盛り込まれています。
次の100年へ受け継がれる県民の公会堂
岩手県公会堂は、2027年(令和9年)に竣工100周年を迎えます。この建物は、建設を求めた県と盛岡市の関係者、設計を担った佐藤功一氏、解体論議の中で保存を訴えた市民や専門家によって支えられてきました。県議会、講演会、演奏会、美術研究所など多様な役割を担いながら、今日まで残されています。保存活用計画のもとで改修が進められ、盛岡の近代の歩みを伝える建築として、次の世代へ引き継がれていくことが願われます。
(2026年10月執筆)

風格のあるそのたたずまいは多くの人々を魅了します。
PHOTO:写真AC
横浜育ちの加賀美夏美は、婚約者・柾樹の故郷である岩手・盛岡の老舗旅館「加賀美屋」で女将修業を始めます。都会育ちの夏美は厳しい旅館の仕事に苦戦しながらも、女将・志乃や従業員たちの支えを受け、成長していきます。伝統と格式を守る加賀美屋での経験を通じて、家族や仲間との絆を深め、本当の幸せを見つける姿を描く感動の物語。
当地もロケ地の一つのようです。







