スミス記念堂
- 文化・教育施設
滋賀県彦根市、国宝・彦根城のほとりに静かに佇む「スミス記念堂」は、昭和初期の和風礼拝堂建築の傑作として知られています。その歴史は1931年に始まり、単なる美しい建造物であるだけでなく、文化交流と市民の熱意が結晶した記念碑でもあります。
この礼拝堂を建立したのは、アメリカ出身の宣教師であり、彦根高等商業学校(現・滋賀大学経済学部)で英語教師も務めたパーシー・アルメリン・スミス氏です 。スミス氏は、亡き両親への感謝の念と、キリスト教精神に基づいた日米両国民の友好、そして国際平和への強い願いを込めて、この記念堂の建設を発願しました 。世界恐慌の厳しい時代にもかかわらず、日米双方の篤志家から多額の寄付を集め、その理想を実現へと導きました 。
建築にあたっては、スミス氏自身の構想に基づき、地元の優れた宮大工であった宮川庄助氏との緊密な協力のもとで進められました 。建物は、借景である彦根城との調和を深く意識しており、唐破風(からはふ)や花頭窓(かとうまど)といった日本の伝統的な社寺建築の様式を基調としています 。その一方で、屋根瓦や扉、梁など随所に、十字架、葡萄、鳩といったキリスト教の象徴的文様が精巧な彫刻や金具として違和感なく溶け込んでおり、和と洋の精神が見事に融合した独特の美しさを生み出しています 。
長年にわたり日本聖公会彦根聖愛教会の礼拝堂として地域の人々に親しまれてきましたが、1996年、都市計画道路の拡幅工事に伴い、取り壊されるという最大の危機に直面しました 。この報に接し、建物の歴史的・文化的価値を惜しむ滋賀大学の教員や学生、そして地域住民や経済人などの市民有志が立ち上がり、「スミス記念堂を彦根に保存する会」を結成しました 。 保存会は、移築再建のための募金活動や移築先の確保に奔走し、建物は一旦解体され、その部材一つひとつが大切に保管されました 。市民による10年にも及ぶ粘り強い保存運動の結果、彦根市から彦根城を望む現在地の提供を受け、2006年12月に見事再建が果たされました 。そして翌2007年、その文化的価値が高く評価され、国の登録有形文化財に正式に登録されたのです 。
現在、スミス記念堂はNPO法人「スミス会議」によって維持管理され、コンサートや講演会、展示会などに活用される市民の文化交流拠点として、新たな歴史を刻み続けています 。
(2025年6月執筆)
PHOTO:PIXTA