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南郷洗堰

  • 建物・施設

瀬田川と水を治める歴史

瀬田川の治水は古くから難題であり、江戸時代には藤本太郎兵衛父子三代が打ち首覚悟で幕府に直訴し、悲願だった川浚えを実現させた歴史があります。明治29年(1896年)9月、10日間で1008ミリという猛烈な豪雨が琵琶湖を襲い、水位は観測史上最高のプラス3.76メートルに達しました。彦根市域の8割や大津市の中心街が泥水に沈み、水が完全に引くまで237日を要したといいます。この惨禍を受けた内務省は、日本初の本格的な近代河川改修「淀川改良工事」に着手し、明治38年(1905年)、瀬田川に石造角落し洗堰である南郷洗堰(旧洗堰)が完成しました。全長172.71メートル、大阪窯業製の煉瓦による32連のアーチが水面に映え、田上羽栗町産の花崗岩を基礎に据えた堅牢な構造物でした。


人の手が支えた水門

32の水門には長さ4.85メートルの松材が組み込まれ、開閉はすべて人力によるものでした。全門を開くのに丸1日、閉じるのに2日を要したといい、豪雨のたびに作業員は焦りながら重い角材を抜き差ししたと伝えられます。大正6年(1917年)には下流の堤防復旧のため放流が制限され、水位上昇に不安を募らせた滋賀県民が決起大会を開くなど、上流と下流の利害はたびたび衝突しました。


電動化と規則が導いた共存

昭和36年(1961年)、人力操作の限界を克服するため新瀬田川洗堰が建設され、10門の鋼製ローラーゲートにより開閉はわずか30分に短縮されました。平成4年(1992年)には長年の対立を経て「瀬田川洗堰操作規則」が制定され、洪水時と渇水時で異なる操作基準が確立し、同年にはバイパス水路も完成しています。一方で、治水を優先した水位操作により、ワタカやホンモロコなど固有種の産卵場であるヨシ帯が干上がるという新たな課題も浮かび上がっています。


静かに水面を見守り続ける

平成14年(2002年)11月18日、旧南郷洗堰は土木学会から土木遺産に認定され、左岸に6連、右岸に1連のアーチが今も保存されています。琵琶湖河川事務所では現在も24時間体制で水位が見守られ、1400万人の暮らしを支え続けています。長い対立と工夫の歴史を経て、なお現役であり続ける洗堰の姿に、静かな敬意が寄せられます。

(2026年7月執筆)

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