鹿沼市立梶又小学校 閉校
- 文化・教育施設
深い山あいで120年の歴史を刻んだ学び舎
明治17年(1884)、栃木県鹿沼市の深い山あいに「南摩村立梶又小学校」として産声を上げたこの学び舎は、実に120年もの長きにわたり、谷間に子どもたちの元気な歓声を響かせてきました。昭和30年(1955)の市町村合併により「鹿沼市立梶又小学校」へと改称されましたが、人々の暮らしが移り変わるなかでも、地域を支える教育の拠点としての役割は変わりませんでした。かつては多くの児童が通い、活気に満ち溢れていた校舎。南摩川のせせらぎに抱かれた高台に位置し、鬱蒼とした森に見守られながら、村の宝である子どもたちを育み続けた日々は、地域の歴史そのものといえるでしょう。
ダム建設による変貌と受け継がれる名前
昭和44年(1969)の南摩ダム建設計画発表は、平穏な山村を大きく揺るがしました。長い対立の末に平成13年(2001)に補償交渉が妥結し、平成16年(2004)3月、学校は惜しまれつつ閉校しました。令和3年(2021)に開通した付替道路の橋には「梶小橋(かじしょうはし)」の名が刻まれ、その存在を後世に伝えています。
誰もいなくなった校舎に灯る命のサイン
急な坂道を上った先の森に佇む校舎は、閉校後も静かに時を刻んでいました。平成19年(2007)当時、主を失った廊下では火災報知器の赤いランプが点滅し続け、かつての温もりを伝えるかのように数匹の野良猫が校庭に住み着いていました。初夏になれば天然記念物のモリアオガエルが泡状の卵を産み、その鳴き声が梅雨の谷間に響き渡る。そんな豊かな自然と共生した光景は、今も卒業生たちの心に深く刻まれています。
ふるさとを愛する心と未来へ架ける橋
先祖代々受け継いできた土地を手放すという重い決断を下した住民の方々と、学び舎を支え続けたすべての方々に心からの敬意を表します。地図からその名は消えても、新しく架けられた「絆大橋」が示すように、離れ離れになった人々の心の繋がりが絶えることはありません。梶又小学校で過ごした宝物のような日々は、水底に沈む景色とともに、いつまでも私たちの記憶の中で輝き続けることでしょう。
(2026年4月執筆)

長きに渡り子供たちの登下校を見守り続けてくれました。

地域の学び舎を守り抜いた先人達の強い想いを引き継ぎたいものです。
PHOTO: 廃校5000 様







