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【田川線】油須原駅 鉄道駅としての廃駅か

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炭鉱の記憶を今に伝える明治の遺構

明治28年(1895)8月15日、筑豊の地で産出される「黒いダイヤ」こと石炭を港へ運ぶため、油須原駅は産声を上げました。初代の豊州鉄道によって開設されたこの駅は、後に九州鉄道や国鉄田川線としての歴史を刻み、平成元年(1989)からは第三セクターの平成筑豊鉄道へと受け継がれました。風格漂う木造駅舎は開業当初からのものとも言われ、国の近代土木遺産にも数えられる貴重な存在です。かつては炭鉱の隆盛を支える貨物列車が頻繁に行き交い、補助機関車の切り離し作業が行われるなど、広大な構内は筑豊のエネルギー革命を支えた物流の要衝として、活気溢れる全盛期を謳歌していました。

 

汽笛と人の温もりが交差した情景

かつてこの駅では、9600形蒸気機関車が黒煙を上げて勾配を挑み、山間に力強い汽笛を響かせていました。駅員が手際よく「タブレット」を授受し、腕木式信号機の重いてこを引く光景は、鉄道が地域の呼吸そのものであった証です。改札で響くハサミの音や、乗客のために木製の蓋を被せる駅員の温かな心遣いは、今も多くの人々の記憶の中に、色鮮やかな情景として大切に刻み込まれています。

 

時代のうねりと苦渋のバス転換

時代の波は厳しく、令和8年(2026)3月25日、深刻な財政難から鉄路を廃止し、バスへ転換する方針が決議されました。ピーク時に年間約340万人を誇った利用者は令和5年(2023)度には約135万人まで激減し、存続には将来的に439億円もの負担が見込まれるという現実が突きつけられました。通学の足を案じる声が上がる中、明治から続いた鉄路は、百年以上にわたる長い使命を静かに終えようとしています。

 

悠久の物語を未来への記憶に

明治から令和まで、地域の営みを支え続けてきた油須原駅。鉄路が消えても、住民が守り抜き、産学官の連携で美しく蘇ったあの木造駅舎の風情は、消えることのない地域の誇りです。歴史を繋いだすべての方々に敬意を表するとともに、この駅が紡いできた豊かな物語が、バスに形を変えても末永く語り継がれ、訪れる人々の心の中でいつまでも温かな光を放ち続けることが願われます。

(2026年5月執筆)

PHOTO:写真AC

主人公を母が見送るシーンが油須原駅で撮影されました。

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