大阪松竹座 閉館
- 文化・教育施設
1923年、江戸時代から続く芝居町・道頓堀に、関西初の本格的な洋式劇場として大阪松竹座が誕生しました 。ネオ・ルネッサンス様式の壮麗な正面ファサードは「道頓堀の凱旋門」と称され、モダンな芸術文化を求める人々の憧れの的となりました 。当初は最先端の洋画上映と、松竹楽劇部(後のOSK日本歌劇団)によるレビュー(舞台公演)を組み合わせた、当時としては画期的な興行形態でスタートし 、1932年には喜劇王チャップリンが来訪するなど、国際的な文化発信地としての地位を確立しました 。
その歴史において特筆すべきは、1945年の大阪大空襲です。周辺地域が壊滅的な被害を受ける中、大阪松竹座は奇跡的に戦禍を免れました 。終戦から間もない1945年8月末には早くも映画上映を再開し、暗い世相の中で人々に希望と娯楽を提供、街の復興を文化面から支えるシンボル的な存在となったのです。
戦後は映画の黄金期を支える封切館として親しまれましたが、時代の変化を受けて大きな転換期を迎えます 。1997年、長年親しまれた正面アーチの外観をそのまま保存し、内部を最新鋭の設備を備えた演劇専門劇場として新築再開場しました。この再生を機に、大阪松竹座は歌舞伎の新たな殿堂としての役割を担います。特に、上方歌舞伎の継承と発展に力を注ぎ、数々の襲名披露興行の舞台となるなど、地域固有の伝統芸能の保護に大きく貢献しました 。歌舞伎以外にも、松竹新喜劇、ミュージカル、コンサートなど多彩な演目を上演し、大阪の総合的な舞台芸術の中心地として地域文化を豊かにしてきました。
2023年に開場100周年という大きな節目を迎えましたが、建物や設備の老朽化に伴い、2026年5月の公演を最後に劇場としての興行を一旦終了し、ビルを閉館することが発表されています 。一世紀にわたり、時代の変遷に対応しながら道頓堀の地で芸術の灯を灯し続けた大阪松竹座は、大阪の文化史において計り知れない貢献を果たしました。その功績は、多くの人々の記憶に刻まれ続けることでしょう。
(2025年8月執筆)
PHOTO:写真AC