Final 2026年5月26日 記事大阪松竹座 閉館のイメージ画像 History 103年

大阪松竹座 閉館

  • 文化・教育施設

道頓堀の凱旋門として刻まれた劇場文化の黎明

大正12年(1923)5月17日、伝統的な木造芝居小屋が並ぶ道頓堀の地に、関西初の本格的な洋式劇場として大阪松竹座は産声を上げました。大林組の木村得三郎氏が設計したこの建物は、淡いクリーム色のテラコッタが美しい白亜の殿堂で、正面の巨大なアーチは「道頓堀の凱旋門」として街の新たな顔となりました。開場時はドイツ映画の上映と松竹楽劇部による実演が組み合わされ、和洋折衷のモダンな文化を発信しました。関東大震災を経て「大大阪」と呼ばれた活況の中、多彩な興行で人々の心を掴みました。大正15年(1926)に始まった「春のおどり」は、今も続く浪花の春の風物詩として、この地から歴史を刻み始めたのです。


戦火を越えて人々の心に寄り添った「暗闇の教室」

昭和20年(1945)の大阪大空襲では、道頓堀が火の海となる中で堅牢な建物が奇跡的に焼け残り、多くの人々を熱風から守る避難所となりました。終戦後もいち早く興行を再開し、作家の藤本義一氏が「暗闇の教室」と称して通ったように、若者たちの感性を育む場であり続けました。同じく道頓堀の「中座」で初舞台を踏んだ片岡仁左衛門丈が、のちに襲名披露(1998年)やさよなら公演などで思い入れのある舞台に立つなど、ここは世代を超えた表現者と観客の情熱が交差する、道頓堀の心の拠り所だったのです。


伝統の継承と一世紀の節目に下された決断

平成9年(1997)に最新の演劇殿堂へ再生し、上方歌舞伎や若きアイドルたちが汗を流す「西の聖地」として愛されてきました。令和5年(2023)に開場100周年を迎えましたが、令和7年(2025)8月に老朽化を理由とした閉館が発表されました。その後、令和8年(2026)3月には道頓堀における劇場文化の機能を未来へ継承していく方針が示されましたが、同年4月14日の取締役会にて約20億円の損失を計上し、象徴的なアーチも含めた全解体が正式に決定しました。一世紀に及ぶ道頓堀の風景は、いま大きな転換点を迎えています。


再びやぐらが上がる日を願う万感のフィナーレ

令和8年(2026)5月の「御名残五月大歌舞伎」では、片岡仁左衛門丈らが万感の思いで舞台に立ちます。場内に響き渡った大阪締めの音は、この地が育んできた芝居小屋文化の誇りそのものです。一世紀にわたり感動を届けてくれた劇場と関係者の皆様に深い敬意を表します。建物の姿は消えても、いつの日か再び道頓堀にやぐらが上がり、新たな歴史が紡がれる日が来ることを、今はただ心より願われます。

(2026年5月執筆)

PHOTO:写真AC

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