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葦谷砲台跡

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京都府舞鶴市の国見山中に、明治時代の緊迫した空気と日本の近代化の息吹を今に伝える「葦谷砲台跡」が静かに眠っています。ここは、かつて日本海側の防衛を担った旧舞鶴要塞を構成する、重要な国防施設の一つでした。この砲台の建設は、1895年の日清戦争後に遡ります。当時、南下政策を進めるロシア帝国を新たな脅威と認識した日本は、国防戦略の要として日本海側に舞鶴鎮守府の設置を決定しました。葦谷砲台は、この重要な海軍軍港を防衛する陸軍施設として1897年に着工、1899年に完成したものです。舞鶴湾の入口に睨みを利かせ、敵艦の侵入を阻止する「海の守り」としての重責を担っていました。

葦谷砲台の歴史的価値は、その兵装にも表れています。ここに配備されていた6門の「二十八糎榴弾砲」は、ドイツの先進技術を基に日本国内で製造された「克式」と呼ばれる国産兵器でした。これは、当時の日本が高い工業力を持ち、軍備の国産化を推し進めていたことの力強い証です。この大砲は、後の1904年に始まる日露戦争の旅順攻囲戦において、戦局を左右するほどの絶大な威力を発揮し、歴史にその名を刻むことになります。

砲台は役目を終えた後、戦後は長く人の手が入ることなく、静かな時を重ねてきました。その結果、コンクリートとレンガで堅固に造られた掩蔽部(えんぺいぶ)や砲座などが、建設当時の姿を色濃く残すこととなりました。この場所は、明治日本の国際的緊張と、それに対する国家の意志、そして近代化を成し遂げた技術力を体感できる、極めて貴重な歴史遺産です。この貴重な遺構の維持管理にご尽力されている関係者の皆様に、心より敬意が表されます。明治という時代の記憶が刻まれたこの場所へ、歴史を愛する皆様もぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょうか。

(2024年6月執筆)

 

山深い場所に位置しますが、訪問の価値はある場所と言えそうです。

 PHOTO:PIXTA

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