【舞鶴引揚記念公園】 平引揚桟橋跡
- 建物・施設
舞鶴市は第二次世界大戦後の1945年から1958年にかけて、約66万人の引揚者を迎え入れた地として知られています。舞鶴引揚記念公園内に復元された平引揚桟橋跡はその場所の一つです。
終戦直後、主に旧満洲や朝鮮半島、シベリアに居を構えた多くの日本人が祖国への帰路を断たれていました。彼らにとって、希望の架け橋となったのが舞鶴引揚桟橋です。祖国への希望を詰め込んだ引揚船は続々と当地に到着しました。再度日本の地に足をつけた引揚者は、検疫や手荷物検査を受けた後、収容所や仮設住宅に移送されました。中には家族との再会を果たした人もいれば、帰国を断念せざるを得ない人もいました。
1958年、最後の引揚船が出港するとともに、13年間にわたる引揚業務は幕を閉じました。その後、引揚桟橋は撤去されましたが、舞鶴引揚記念公園として整備され、後に引揚記念館も開館しました。舞鶴港での引揚の記憶を現代に伝承する舞鶴引揚記念館は日本で唯一の引揚特化型博物館です。引揚桟橋跡は、戦後の歴史を風化させない貴重な場所として、多くの人々が足を運ぶ場所となっています。是非一度現地に足を運び、平和の尊さを改めて認識してみてはいかがでしょうか。
(2024年6月執筆)
PHOTO:写真AC
シベリアの強制収容所に抑留された日本人とその家族の壮絶な半生を描く映画です。
当地もその舞台になっています。是非一度ご覧になってはいかがでしょうか。