琵琶湖疏水
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幕末の禁門の変は京都の地に大きな傷跡を残します。街が焼け、東京奠都に伴い人口も減少し、産業の力も弱ってしまいました。そこで、第3代京都府知事の北垣国道が当地を流れる大規模な疏水建設計画を策定。琵琶湖の水を活用した地域一帯の一大インフラ整備を目的として建設されました。
琵琶湖の湖水を西隣の京都市へ流す琵琶湖疏水は第1疏水(1890年完成)と第2疏水(1912年完成)を総称したもの。滋賀県大津市三保ヶ崎で取水し、水道、蹴上発電所による水力発電、農地の灌漑、水運、工業用水など様々な目的のために利用されます。
琵琶湖疏水記念館(京都府京都市左京区南禅寺草川町17)がその歴史を今に伝えます。ご興味のある方は一度現地に足を運んでみてはいかがでしょうか。地域の人々に潤いを与えてくれた琵琶湖疏水の歴史ロマンを感じとれることでしょう。
(2023年3月執筆)
地域に潤いを与えてくれた琵琶湖疏水は現在も地域に大切な水を供給しています。
琵琶湖疏水記念館です。
PHOTO:PIXTA
吉田松陰の遺志を継ぎ、来る日本のために命を懸けた「久坂玄瑞」。禁門の変で命を落とします。
永久保存版としてお手元に確保されてはいかがでしょうか?