木本隧道
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大正の技術が貫いた、山と海のあいだ
大正13年(1924年)、三重県の継続事業として木本隧道の建設工事が始まりました。全長509.5メートル、幅員4.5メートルという当時としては大規模な計画で、熟練の職人たちが木枠支保工を組みながら一掘りずつ手作業で掘り進める日本式掘削工法が採られました。地質の脆弱な箇所には煉瓦を、安定した場所にはコンクリートを使い分ける構造で、坑口には手積みの煉瓦壁や馬蹄形のアーチが今も当時の姿を伝えています。大正15年(1926年)4月28日、待ち望まれた開通式が挙行され、険しい山道で隔てられていた木本町と大泊町は、わずか数分で結ばれることとなりました。
待ち望まれた開通と、その道のり
完成までの道のりには様々な出来事もありましたが、地域の人々にとってこの隧道は長年待ち望んだ悲願でした。旧国道42号線の一部として、山を越えなければ行き来できなかった二つの町を短時間で結ぶこの道は、開通とともに地域の暮らしを大きく変えていきました。
歩く道として、今に受け継がれて
新しいトンネルの開通後は歩行者専用道へと姿を変え、熊野古道伊勢路の一部として今も多くの旅人の足跡を刻んでいます。トンネルを抜けた大泊側には熊野灘の海が広がり、砂浜へと続く出口の開放感は歩く人々を迎え続けています。築95年を超えた2021年の点検でも安全性が確認されており、熊野市の長寿命化修繕計画では最も重要度の高い「A」区分の構造物として管理が続けられています。その価値は2004年(平成16年)、土木学会の選奨土木遺産としても認定されました。
先人の手仕事に、今も残る温もり
木枠支保工を組み、鑿で岩肌を穿った職人たちの手仕事は、100年近い風雪に耐えた赤煉瓦の壁面に今も刻まれています。山と海を繋ぎ、東紀州の暮らしを支え続けてきたこの隧道は、先人たちの労苦と技術への敬意とともに、これからも歩く人々を静かに見守り続けることでしょう。
(2026年7月執筆)







