相鉄ムービル 閉館/取壊
- 商業施設
横浜駅西口の風景を変えた娯楽の殿堂と映画文化の興隆
終戦直後の横浜市西区では、藤棚周辺の「浜富士館」などが人々の心を潤す娯楽の場として親しまれていました。昭和27年(1952)に相模鉄道が横浜駅西口の土地を取得し、昭和31年(1956)に横浜駅名品街が誕生したことで、駅前の風景は劇的な変化を遂げます。そして昭和46年(1971)、現在のホテルが建つ場所に5つのスクリーンを擁する初代「相鉄ムービル」が産声を上げました。それまで伊勢佐木町へ足を運んでいた映画ファンを一気に惹きつけ、西口を一大娯楽拠点へと押し上げたその存在感は圧倒的で、街の人の流れを根本から変えるほどの力強いエネルギーに満ち溢れていました。
演劇と音楽が交差した文化の交差点と人々の記憶
昭和63年(1988)に幸橋を渡った先へ移転開業した2代目ビルは、映画だけでなく多彩な文化の拠点としても愛されました。特に「相鉄本多劇場」は、役者の息遣いが間近に伝わる濃密な空間として若手劇団員の情熱を支え、毎月開催される演劇サロンではファンと表現者が熱く語り合う光景が見られました。夜になればジャズの調べが漏れ聞こえるバーもあり、多様な表現が混ざり合う横浜らしい情緒を長年育んできたのです。
再開発の号砲と共に訪れる閉館と街の大きな転換点
時代の波と共に運営体制も変わり、平成18年(2006)には映画館が「東急レクリエーション」へと継承されました。しかし、令和8年(2026)3月5日、横浜駅西口の大改造構想に伴い、同年9月30日をもって閉館することが発表され、街に大きな衝撃が走りました。隣接するライブハウスや飲食店街も同日に営業を終了することが決まり、37年にわたり親しまれた巨大な娯楽の器は、その歴史にひとつの区切りを付けようとしています。
受け継がれる感動の記憶と水辺に広がる未来への架け橋
閉館の日まで、館内では17の店舗が感謝を込めて変わらぬ笑顔で客を迎えています。跡地の一帯は「Well-Crossing」という新たなコンセプトの下、水辺と緑が調和する開放的な未来の街へと生まれ変わる予定です。映画や演劇、音楽が混ざり合い、数え切れないほどの喝采を生み出してきたムービルの精神は、形を変えても横浜駅西口の新たな物語の中に、いつまでも大切な記憶として生き続けていくことでしょう。
(2026年2月執筆)
PHOTO:PIXTA







