Final 2008年3月31日 記事羽後町立明治小学校 閉校のイメージ画像 History 124年

羽後町立明治小学校 閉校

  • 文化・教育施設

123年の歴史を刻んだ村の学び舎

明治17年(1884)5月15日、のどかな農村の一角にあった民家を借りて「新町小学校」が産声を上げました。これが、後に地域とともに歩むことになる学び舎の第一歩です。明治22年(1889)には近隣の6つの村が合併して明治村が誕生し、学校も明治25年(1892)には村の名を冠した明治尋常小学校へと改称されました。地域の人々の熱意によって明治26年(1893)には待望の新校舎が完成し、木の香りが漂う中で子どもたちの教育環境が整っていったのです。昭和16年(1941)の国民学校への改称や戦後の学制改革、さらには昭和30年(1955)の町村合併による羽後町立としての再出発など、激動の時代を常に住民の深い愛着に支えられながら、明治小学校は123年という長きにわたる歴史を刻み続けてきました。


青い目の人形と五カ条の精神

校内には、昭和2年(1927)に日米友好の証として贈られた青い目の人形「ペリー」が、戦時の厳しい処分命令を逃れて大切に守り抜かれてきました。また、恩師である船越準蔵先生が閉校の偲ぶ会で語りかけた「人のためになりましょう」から始まる五カ条の校訓は、地域全体の精神的支柱となっていました。閉校の日、廊下に飾られた手作りの巨大年表や子どもたちの表彰状は、ここで育った誇り高い証として、訪れた人々の涙を誘いました。


春の気配に包まれた閉校の日

少子化の影響により、平成18年(2006)6月に近隣校との統合という決断が下されました。平成20年(2008)3月1日、前日の春雨が残雪を静かに溶かす中で閉校式が挙行され、57名の児童と地域住民が涙ながらに最後の校歌を響かせました。役目を終えた学び舎ですが、平成26年(2014)5月からは跡地に室内植物工場が建設され、現在はベビーリーフを育む新たな命の拠点として、再び活気を取り戻しています。


郷土の記憶に生き続ける誇り

校舎の姿は変わっても、この地で育まれた「他者のために尽くす」という精神は、卒業生たちの心の中に今も色褪せることなく息づいています。123年にわたり子どもたちを見守り、地域の誇りであり続けた明治小学校。その輝かしい歴史と、閉校の日に200名近い参列者が声を震わせて歌った校歌のメロディは、これからも郷土の記憶として大切に語り継がれていくことでしょう。

(2025年5月執筆)

懐かしい記憶が蘇るという方もいらっしゃるのではないでしょうか。

PHOTO: 廃校5000  様

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