埼玉県立浦和工業高等学校

  • 文化・教育施設

埼玉県立浦和工業高等学校は、日本の高度経済成長期において、中堅技術者の育成という社会の大きな期待と、地域の工業教育への熱意に支えられ、1961年4月に開校いたしました。開校当初は県立浦和高等学校の仮校舎で電気科の教育が始まりましたが、1962年に機械科が設置され、同年11月には現在の西堀の地へ移転しました。初代校長のもと、「知性の高揚」「技術の錬磨」「誠実さの養成」「心身の練磨」を教育目標に掲げましたが、校風の根幹となる「浦工精神」は、開校直後の第一期生たちが「我々の後ろには道ができる」という熱い思いのもと、自ら「旺盛な科学精神」「豊かな教養」「あふるる活気」という三つの精神を提唱し、築き上げてきたものです。

社会の変化とニーズに対応し、1984年には設備システム科、1991年には情報技術科を設置し、多様な専門分野に対応する工業高校としての地位を確立しました。特に設備システム科は、埼玉県内で当校にしか開設されていなかった学科であり、特色の一つです。これまでに1万5千人以上の「若きエンジニア」を輩出し、卒業生の多くは地元企業や産業界で活躍しています。地域社会との連携も深く、生徒は地元企業を中心としたインターンシップを経験するほか、2022年1月には設備システム科の生徒が、地元浦和レッズのホームスタジアムである埼玉スタジアム2002の設備改修工事現場を見学するなど、地域の重要なインフラと工業技術の関わりを実践的に学んできました。

しかし、近年の中学校卒業者数の減少と県立高校の活性化を図るという行政上の再編整備(魅力ある県立高校づくり第2期実施方策)により、当校は歴史を閉じることとなりました。2024年度より生徒募集を停止し、2026年3月をもって閉校する予定です。その後、埼玉県立大宮工業高等学校と統合し、2026年4月に大宮工業高校の所在地に、工業と情報の両分野を牽引する新たな埼玉県立大宮科学技術高等学校として生まれ変わります。長きにわたり、浦和工業高等学校の運営にご尽力されてきた歴代の校長、教職員、そして地域関係者の皆様に心より敬意を表します。この学び舎で培われた「技術」と「誠実さ」は、新校へと確かに引き継がれていくことでしょう。浦和工業高校での学びの日々、情熱を傾けた部活動、そして友情の証である多くの思い出を、すべての卒業生、在校生、保護者、そして教職員の皆様が、今後も大切に胸に抱き続けることを願ってやみません。

(2025年11月執筆)

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