石橋文化センター 共同ホール 閉館
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芸術の街に根差した文化の源流
昭和31年(1956)4月26日、ブリヂストンタイヤの創業者である石橋正二郎氏が、会社創立25周年を記念して石橋文化センターを久留米市に寄贈したことで、同地の文化の歴史が幕を開けました。約30,361平方メートルの広大な敷地には木造の文化会館や体育館、プールなどが立ち並び、開園当初はわずか10円で市民に開放されました。石橋氏は生活環境の向上と文化の発展を熱く願い、正門には「世の人々の楽しみと幸福の為に」という言葉が刻まれました。昭和52年(1977)4月1日には入園料が完全に無料化され、誰にでも開かれた憩いの場として親しまれています。
緞帳が彩った市民の集いと熱気
緑豊かな敷地内に昭和60年(1985)4月6日、新たな活動拠点として文化センター共同ホールが完成しました。総床面積1,894平方メートルを誇るこの施設は、舞台の緞帳に地元出身の前衛画家である古賀春江の代表作「遊園地」が採用され、芸術の街の息吹を伝える象徴となりました。開館以来、久留米文化振興会が管理運営を担い、市民の表現力を育む大切な揺りかごとして歩んできました。利用のピークとなった平成4年度(1992)には年間11万人を超える人が来館し、各種コンサートや講演会、日々の練習に励む多くの人々の熱気と歓声で溢れかえっていました。
時代の変遷と静かなる幕引き
長年愛された共同ホールでしたが、周囲の環境変化や建物の老朽化に伴い、平成28年(2016)2月に廃止が提案されました。平成30年(2018)3月6日には当時の市長が議会で正式に廃止方針を発表しましたが、その後も安全点検を徹底しながら運営が継続されました。令和5年度(2023)にも約36,000人の入場者を記録し、最後まで集いの場として輝き続けましたが、令和6年(2024)3月末に約39年間の歴史に幕を下ろしました。現在は令和8年(2026)の開園70周年に向け、バリアフリー化を含む新たな園内環境の整備が進められています。
豊かな未来へと繋がる記憶
数え切れないほどの思い出と感動を地域に刻み込んできた共同ホールの歩みは、形を変えても市民の心の中に深く残り続けることでしょう。長年にわたり施設を支え、文化活動を温かく裏方として支え続けてきた関係者の皆様の尽力に対し、深い敬意を表します。共同ホールが果たしてきた表現の場としての尊い理念が、新しく生まれ変わる石橋文化センターの未来へと脈々と受け継がれ、これからも久留米の街に豊かな芸術の調べと人々の幸福をもたらし続けることが心より願われます。
(2026年6月執筆)
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