【伊田線】糒駅 鉄道駅としての廃駅か
- 乗り物
石炭輸送の要衝として刻んだ栄光の記憶
明治33年(1900)9月17日、九州鉄道の停車場として産声を上げた糒駅は、筑豊が誇る「黒いダイヤ」を運び出す重要な拠点として歴史の幕を開けました。明治40年(1907)7月1日には国有化され、国のエネルギー供給を根底から支える大動脈の駅へと発展を遂げます。昭和26年(1951)3月には温かみのある木造駅舎へと改築され、長らく地域の人々の生活の足場となりました。昭和40年代(1965-1974)の後半に至るまで、構内には幾本もの引き込み線が走り、石炭車がけたたましい金属音を立てて入れ替え作業を行うなど、まさに産業の最前線としての活気に満ちあふれていたのです。
拳の響きと静かな対局が交差する新たな日常
無人化や駅舎の荒廃という寂しい時期を乗り越え、平成7年(1995)1月27日、駅舎の跡地を利活用した「筑豊ボクシングジム」がオープンしました。現在はプロを目指す若者たちの熱気あふれる掛け声とミットを打つ快音が響く一方、すぐ向かいには地元の愛好家が集う碁会所が店を構えています。鍛錬に励む若者と、静かに対局を楽しむ年配者が共存する不思議で温かい光景は、この駅ならではの新しい日常風景として地域の人々に親しまれています。
時代の荒波を越えて地域に寄り添う生活路線
昭和62年(1987)4月1日の国鉄分割民営化を経て、平成元年(1989)10月1日からは現在の平成筑豊鉄道へと運営が引き継がれました。平成21年(2009)4月1日には地元企業が命名権を獲得し「神田商店 糒駅」という愛称が定着しています。令和元年(2019)度の乗降客数は1日平均122人を数え、周辺に学校が点在する閑静な住宅街の中で、地域の人々の暮らしを支える生活路線として、今日も穏やかな時を刻み続けています。
炭都の記憶を胸に未来へと語り継ぐ場所
かつて石炭にまみれて汗を流した労働者や、駅の歴史を守り続けてきた関係者の皆様に深い敬意を表します。現在、駅舎の大部分は取り壊され、古い跨線橋が往時を物語るのみとなりましたが、この場所で育まれる若者の情熱や地域の方々の交流は、今も色あせることなく記憶に刻まれています。糒駅が紡いできた豊かな物語が、これからも地域の誇りとして、次世代へと末永く語り継がれていくことを願ってやみません。
(2026年2月執筆)







