上野ビル
- 建物・施設
北九州市若松区の海岸通りに、港の繁栄を今に伝える重厚な煉瓦造の建物が佇んでいます。現在「上野ビル」として知られるこの建築物は、日本の近代化を支えた石炭産業の歴史を象徴する存在です。
その歴史は、国内最大の石炭積出港として若松が活気に沸いていた1913年に遡ります。三菱合資会社が筑豊炭田からの石炭を扱う拠点として「若松支店」を設立したのが始まりです。設計は建築家の保岡勝也氏が手掛け、外壁には官営八幡製鐵所で製造された「鉱滓煉瓦」が用いられました。これは製鉄の副産物を再利用したもので、石炭と製鉄という北九州の二大産業の結びつきを物語る貴重な証です。
時代が石炭から石油へと移り変わる中、1969年に建物は上野海運株式会社の所有となり、「上野ビル」として新たな歩みを始めました。解体されることなくテナントビルとして活用され続けたことで、その歴史的価値は守られました。竣工から100年後の2013年、この建物の歴史的重要性は公に認められます。美しい本館だけでなく、三菱の社章が残る倉庫棟、石炭の品質を管理した旧分析室、門や塀に至るまで、施設全体が一体のものとして国の登録有形文化財に登録されました。これは、単なる美しい建築としてではなく、石炭取引の一連の機能を担った産業遺産としての価値が評価されたことを意味します。
現在もビルにはカフェや事務所が入居し、「生きた遺構」として若松の街に息づいています。建物を大切に維持管理し、その歴史的価値を未来へと繋ぐ運営管理主の尽力には、深く敬意が表されます。日本の近代化を支えた港町の記憶を体感できるこの場所は、歴史ファンならば一度は訪れたい珠玉の建築遺産です。
(2025年10月執筆)