北区立十条台小学校 閉校
- 文化・教育施設
軍都の歴史と歩んだ大教育の源流
1933年(昭和8年)4月、現在の十条小学校のルーツとなる東京市王子第五尋常小学校が誕生しました。開校当時は教員24名に対し1104名もの児童を抱える22学級の規模を誇り、地域を支える大規模な学校でした。しかし1944年(昭和19年)8月には戦況の悪化により群馬県伊香保町への学童疎開を余儀なくされ、翌1945年(昭和20年)4月には空襲によって木造校舎がすべて消失するという悲劇に見舞われました。戦後の1946年(昭和21年)11月に仮校舎が落成して復興を遂げたのち、高度経済成長期の昭和39年度(1964年度)には十条台小学校が開校し、各学年1クラスの小規模校として新たな歴史を刻み始めました。
温水プールと地域が育んだ家族の絆
十条台小学校には、平成3年度(1991年度)に公立校としては珍しい温水プールが竣工し、一年中プールの授業が行われていました。音楽会や展覧会などの芸術行事、4年生からの宿泊行事など豊かな体験活動が重視されたほか、保護者も参加して開催されるお祭りなどの特色ある行事が行われ、地域に親しまれました。
58年の節目と新校舎が繋ぐ2000年の記憶
十条台小学校は58年にわたり地域を見守り続けましたが、時代の波に伴い2022年(令和4年)3月末に閉校しました。同年4月1日には旧荒川小学校と統合して北区立十条小学校が新設され、2022年(令和4年)2月9日に制定された新校歌とともに、280名あまりの児童が新たな歩みを始めています。新校舎建設に伴う旧跡地の発掘調査では、地下から約2000年前の弥生時代の住居跡や古墳、江戸時代以降の地名入り徳利などが出土し、2025年(令和7年)7月には児童や地域住民向けの見学会も実施されました。
歴史の証人と平和への願いが息づく街
周辺の十条地域は、かつて東京第一陸軍造兵廠などの軍事施設が点在した歴史を持ち、現在も十条富士見中学校のレンガ塀や、北区立中央図書館として活用されている旧275号棟の赤レンガ建築にその面影を留めています。また、1910年(明治43年)に開業した十条駅近くの十条道踏切では今も踏切警手が安全を見守り、北とぴあ前には北村西望氏が1951年(昭和26年)に制作した長崎平和祈念像の原型が佇むなど、激動の歴史と平和への祈りを今の時代に伝えています。
(2022年4月執筆)







