日光市立川治小学校 閉校
- 文化・教育施設
秘境の湯治場に灯った近代教育の火と136年の歩み
享保8年(1723)の洪水により開かれた川治温泉。その風光明媚な高台に、明治7年(1874)、地域住民の強い願いと資金拠出によって「高原小学校」が誕生しました。これが、近代教育の幕開けです。当初は林業や湯治場の暮らしに寄り添う実学が中心でしたが、明治33年(1900)に高原尋常小学校へと改称され、学びの拠点としての歩みを本格化させます。昭和3年(1928)には重厚な石造りの門柱が建てられ、昭和22年(1947)には川治小学校へと改称されました。昭和34年(1959)にはダム建設に伴い五十里分校を統合し、一時的に児童数が増加。ダム建設の影で故郷を失った子供たちを受け入れる、地域の拠り所としての役割を担っていました。
豊かな自然に抱かれた温もりある学び舎の情景
敷地内には温もりある平屋建て校舎が並び、雨上がりの土の匂いや風の音を五感で受け止められる環境でした。多雪地帯ならではの丸みを帯びたかまぼこ型の体育館は地域のランドマークであり、校庭には百葉箱や重いローラーが佇んでいました。グラウンドにそびえるシンボルツリーの大樹は四季の移ろいを伝えながら、複数の教員に見守られ、学年の垣根を超えた交流を深める子供たちの学校生活とともにありました。
少子化の波による閉校と公園への生まれ変わり
平成18年(2006)3月の合併で日光市立川治小学校となりましたが、少子化は深刻でした。平成18年度(2006)に15名だった児童数は、平成20年度(2008)に10名、平成21年度(2009)には4名に減少します。栃木県日光市の山間部の厳しい冬を越え、平成22年(2010)3月、136年の歴史に幕を閉じました。同年4月から子供たちは鬼怒川小学校へ通うことになり、校舎解体後の跡地は現在、緑広がる「希望ヶ丘公園」へ生まれ変わっています。
刻まれた記憶と未来へ語り継がれる学び舎の魂
公園の片隅には「廃校記念碑」が立ち、裏面には学校の沿革が、別の面には校歌の歌詞が刻まれており、地域の学校に対する深い愛着を伝えています。今も園内に残る古い門柱やシンボルツリーが、この場所がかつて学校であった歴史を今に伝えており、跡地は地域住民の憩いの場や交流の空間として現在も継承されています。
(2026年5月執筆)

かつては子供たちの賑やかな声が響いていたことでしょう。

地域の学び舎を守り抜いた先人達の強い想いを引き継ぎたいものです。
PHOTO: 廃校5000 様







