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菅島灯台

  • 建物・施設

海の難所を照らし出した歴史と誇り

鳥羽港の沖合、太平洋へと続く菅島周辺は、かつて「鬼ヶ崎」と恐れられた岩礁が潜む海の難所でした。航海の安全を願う歴史は古く、延宝元年(1673年)には江戸幕府の命で「御篝堂」が設けられ、番人が夜通し火を守り続けてきました。文明開化の波が押し寄せた明治5年(1872年)1月、お雇い外国人のリチャード・ヘンリー・ブラントンの設計により、レンガ造り灯台の建設が始まりました。地元の職人たちが焼き上げたレンガを「イギリス積み」で美しく重ねた白亜の塔は、明治6年(1873年)7月1日に初点灯を迎え、長きにわたる篝火の時代に代わって近代化へ進む伊勢湾の夜闇を照らし始めたのです。


島に息づく記憶と子どもたちの想い

明治6年(1873年)の就工式には、公文書などの記録こそ発見されていないものの、西郷隆盛をはじめとする政府高官が列席して盛大に式典が挙行されたと言い伝えられています。足元の洋館では灯台守の家族が潮の香りと共に暮らしを紡ぎ、その姿は島民の心の拠り所となりました。現在も地元の菅島小学校の校舎には灯台の意匠が取り入れられ、冬には児童たちが丹精込めて育てた水仙が、岬に甘い香りを漂わせながら訪れる人々を優しく出迎えています。


時代を越えて刻まれる文化財の輝き

昭和34年(1959年)8月に自動化され無人となりましたが、役目を終えた官舎は昭和38年(1963年)に「博物館明治村」へ移築され、今も往時の面影を伝えています。灯台自体も平成25年(2013年)に光源がLED化されるなど進化を遂げ、令和4年(2022年)9月20日には国の重要文化財に指定されました。150年を超えてなお、4秒に1度の閃光は27キロメートル先の船まで届いています。


未来へと語り継がれる不滅の光

厳しい風雪に耐え、海の安全を守り抜いてきた先人たちの情熱は、今もレンガの一枚一枚に刻まれています。夏の「しろんご祭り」で一般公開される際の賑わいや、地元の「島っこガイド」が語る熱心な声は、この歴史的遺産が未来へと守り継がれる証です。白亜の塔が放つ光は、これからも変わることなく伊勢の海を往く人々を優しく包み込み、希望の灯火として輝き続けることでしょう。

(2023年4月執筆)

 

長きに渡り地域の大切な景色の一部となっております。

PHOTO:PIXTA

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