【美祢線】四郎ヶ原駅 鉄道駅として廃駅
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四郎ヶ原駅は1905年(明治38年)、国の産業政策を背景に、石炭輸送を主目的として開業しました 。駅が設置された当時の周辺地域は、米や野菜、果樹などを生産する農業地帯であり、鉄道は近代化の象徴であると同時に、地域に新たな物流と人の流れをもたらしました 。 戦後は石炭に代わり、美祢地域で豊富に産出される石灰石をセメント工場へ運ぶための重要な動脈となりました 。この貨物輸送が路線の収益を支える一方、駅は沿線の農業地域に暮らす人々の通勤や、厚狭方面へ通学する学生たちで賑わい、地域の暮らしに欠かせない存在でした 。
しかし、モータリゼーションの進展と、2014年までに段階的に行われた貨物輸送の全廃により、路線は厳しい時代を迎えます 。 決定打となったのは、2023年7月の記録的な豪雨災害です 。橋梁が崩落するなど壊滅的な被害を受け、JR西日本は鉄道での復旧を断念しました 。1世紀以上にわたる鉄路の歴史は幕を閉じ、今後はバス高速輸送システム(BRT)として、新たな形で地域の交通を担っていくことが決定しています。
多くの思い出を育んできたこの駅を長年運営し、守り続けてきたJR西日本様をはじめとする関係者様の尽力に、心より敬意を表します。利用者やファンの皆様には、四郎ヶ原駅で過ごした記憶を心のなかで大切に振り返っていただきたいものです。
(2025年8月執筆)
大切な思い出をお持ちの方も多いのではないでしょうか。
形を変えて、新しい役割が与えられることでしょう。
PHOTO:PIXTA