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雄川堰

  • 建物・施設

城下町を潤し続ける歴史的水脈の起源

いつ開削されたか定かではないものの、藩政時代以前から存在した雄川堰は、元和元年(1615)に織田信雄が上州小幡を拝領し陣屋を計画したことで、水路網整備の大きな転機を迎えました。寛永6年(1629)からの大規模改修を経て、寛永19年(1642)に小幡陣屋が完成すると、現在に続く水路の骨格が定まりました。稲含山を水源とする水流は、大堰から一升枡などの取水口を経て総延長約9キロメートルに及び、武家屋敷から町屋まで公平に潤しました。護岸には織田家と関わりの深い穴太衆(あのうしゅう)の技術が影響した可能性も指摘される高度な「空石積み」が施され、正保2年(1645)造営の小幡八幡宮などにもその遺構が残ります。さらに慶応元年(1865)には、250人を動員して美しい「吹上の石樋」が石製へ架け替えられ、藩の確かな土木技術と豊かな城下町の全盛期を今に伝えています。


清流と共に紡がれた暮らしの情景

かつて水路は貴重な生活用水であり、人々は汚水を戻さない暗黙のルールを守って清流を維持しました。町屋地区には47箇所以上の洗い場があり、昭和18年(1943)の記録には桜の下で「いもぐるま」が回る素朴な情景が残されています。ワサビが育つ水辺は子どもたちの遊び場でもありました。小堰の総延長のうち約6割が今も開渠(ふたがされず水面が見える状態)のまま残されており、民家の間を流れる穏やかなせせらぎは、日常に溶け込んでいます。


住民の情熱がもたらした再生と世界への飛翔

高度経済成長期に水質が悪化するも、昭和56年(1981)の鯉放流から再生へ歩み出しました。昭和57年(1982)から住民が毎日続ける清掃により、現在は酸素要求量が1リットルあたり2ミリグラムを下回る清さを保ちます。その結果、昭和60年(1985)に名水百選、平成26年(2014)には世界かんがい施設遺産に登録されました。現在も全体の約39パーセントにあたる2385メートルで当時の石積みが残ります。


受け継がれる誇りと未来へ繋ぐ美しき水脈

平成24年(2012)からは技術検証のワークショップが始まり、貴重な土木遺産としての誇りが次世代へ育まれています。春には桜並木を背景にさくら祭りが開催され、地域の歴史的風致と結びついた景観が人々を魅了します。環境を守り続ける住民の細やかな気配りに敬意を表するとともに、先人の知恵が詰まったこの清らかな水脈が、今後も末永く後世へと受け継がれていくことが願われます。

(2023年6月執筆)

PHOTO:PIXTA

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