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角島灯台

  • 建物・施設

日本海の安全を担った近代航路標識の最高傑作

江戸時代から航海の要所でありながら、海難事故が多発する危険な海域であった角島沖の安全を確保するため、1873年(明治6年)に灯台建設の伺いが提出されました。工事にあたっては歴代のイギリス人技師による指導のもと、島民たちが重さ約1トンの巨大な御影石を人力で運ぶ過酷な肉体労働が行われました。設計は「日本の灯台の父」と称されるリチャード・ヘンリー・ブラントンが手掛け、彼の最高傑作と評されています。約2年半の歳月を経て1875年(明治8年)12月30日に竣工し、1876年(明治9年)3月1日に初点灯したこの灯台は、日本海側初の洋式灯台として物流と貿易の発展を支えました。


島民と灯台守が紡いだ絆と異国の記憶

地上約30メートルの高さを誇る美しい無塗装の石造り灯台の内部には、105段の螺旋階段と、現在も稼働するものとしては日本最古の第1等フレネル式レンズが備えられています。かつて敷地内のレンガ造り旧官舎には外国人灯明番や歴代の灯台職員が暮らし、1986年(昭和61年)4月に無人化されるまで家族とともに光を守り続けました。当時の過酷な建設現場では言葉や文化の壁によるすれ違いもありましたが、その歴史は深く人々の記憶に刻まれています。


時代を超えて輝く文化財と観光の聖地

2000年(平成12年)に全長1780メートルの角島大橋が開通したことで、離島だった角島の環境は劇的に変化しました。コバルトブルーの海と灯台が織りなす絶景は自動車のCMや人気ドラマのロケ地に起用され、多くの観光客が訪れる聖地へと生まれ変わっています。また、2020年(令和2年)12月23日には現役の航路標識として初めて国の重要文化財に指定され、明治初期の優れた建築技術を現代に伝えています。


初点灯から150年目の節目と未来への継承

高度な航海通信技術の発達により灯台の物理的な役割は変化しつつありますが、この石の塔は地域の精神的シンボルとして親しまれています。初点灯から150年の節目となる2026年(令和8年)には、地元有志による「角島灯台会」の結成や市民演劇の上演、最後の灯台守の体験談を聴く夜間イベントなどが企画されました。先人たちの偉業と灯台が紡いできた貴重な物語が、これからも次の世代へ温かく語り継がれることが願われます。

(2023年12月執筆)

PHOTO:写真AC

如月敬輔はロンドンでの事件で指を負傷し、ピアニストの夢を絶たれる。その事件で両親を失った少女・千織を養女として引き取り、各地で慰問演奏を続けていた。角島の療養センターで高校の後輩・真理子と再会するが、落雷事故で彼女は意識不明となり、その魂は千織の体に宿ってしまう。残された時間はわずか四日間——真理子に与えられた最後の日々を通して、敬輔は本当の幸せに気づいていく。角島の海を舞台に描かれる、切なく温かい奇蹟の物語。

四日間の奇蹟

角島灯台も登場します。

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