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美祢線 鉄路としての廃線

  • 乗り物

美祢線の歴史は、1905年に山口県山陽小野田市の厚狭駅から大嶺駅間が開通したことにまで遡ります。開業の背景には、当時の美祢地区で産出された無煙炭を日露戦争や徳山の海軍燃料廠へ運ぶという、国策と産業の要請がありました。その後1916年には美祢軽便鉄道が開業し、1920年に国有化されると「美禰軽便線」となり、1922年には「美祢線」と改称されます。1924年には全線が開通し、山陽と山陰を結ぶ重要な鉄道としての役割を担いました。

美祢線は石炭や石灰石など、地域資源の輸送に大きく貢献し、戦後の経済発展や高度成長期には国内でも屈指の貨物輸送量を誇りました。地域住民の日常的な通勤・通学の足としてだけではなく、産業を支える生命線として長く親しまれてきたのです。しかし1970年代に入ると大嶺炭田の閉山や貨物専用道路の開設など産業構造の変化を受け、貨物輸送は縮小、2009年にはすべて終了しました。

さらに2023年夏の豪雨災害によって全線が不通となり、復旧が困難な状況が続きました。こうした中、自治体とJR西日本は「より持続可能で利便性の高い地域交通」の模索を進め、2025年8月にバス高速輸送システム(BRT)への転換方針で一致しました。この決断により、鉄路としての美祢線は事実上、歴史の幕を閉じることとなりますが、交通機関としての機能は異なる形で維持されます。美祢線は、100年以上にわたり地域の発展と人々の暮らしに寄り添い、多大な貢献を果たしてきました。JR西日本を始め関係者様のその長きにわたる尽力と使命に、心から敬意が表されます。

(2025年8月執筆)

美しい営みは永遠の記憶になります。

PHOTO:PIXTA

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