Final 2012年3月31日 記事京丹後市立三津小学校 開校のイメージ画像 History 139年

京丹後市立三津小学校 開校

  • 文化・教育施設

かつて京都府京丹後市網野町三津27に、京丹後市立三津小学校という公立小学校がありました 。この学び舎は、1873年(明治6年)に「三津校」としてその歴史をスタートさせました 。開校当初の正確な児童数は記録からは特定できませんが、小規模な学級で始まったと推察されます。特筆すべきは、三津村が周辺の他村に先駆けて校舎を建設したことであり、教育への高い意識がうかがえます。初代教員として、元宮津藩士で文武両道に秀でていた金原万助氏とその妻ます氏を迎えたことからも、地域の人々の教育にかける熱意が伝わってきます 。

三津地区は、古くから漁業が盛んな地域として発展し、美しい海岸線を持つ自然豊かな場所です 。この「三津」という地名の由来にはいくつかの説があります。一つは、三津浜、西隣の遊(あそび)地区の浦、さらに西の掛津(かけづ)地区の浦までを含めた三つの入江(津)が連なることから名付けられたという説です。また、津に敬称の「み」を付けた「御津(みつ)」に由来するという説もあるそうです。この地域には、節分の際に特定の家では豆まきをしないというユニークな伝承や 、葬儀の際に長寿を祝って赤飯を炊くといった、珍しい風習も残されています 。

三津小学校は、その長い歴史の中で幾度かの移転や改称を経験しました。1891年には掛津校が廃校となり、遊区や尾坂区の児童も三津校に通うようになりました 。教育環境の整備も進められ、1909年には現在の三津区民センターがある敷地に校舎を移転しました 。そして1967年には、学校の象徴となる校歌と校章が制定されました 。時代は流れ、1988年には新校舎が完成します。三津地区は狭い谷間に形成された集落ですが、新校舎には200メートルトラックが設置できるほど広大なグラウンドが確保され、また、当時としては先進的なオープンスペースも設けられました 。このオープンスペースは丹後地域で初めて導入された多目的スペースであり、当時は先鋭的は教育環境が整えられていたことを示しています 。

しかし、時代の変化とともに、三津小学校はその役割を終える時を迎えます。2012年3月31日をもって閉校し、「三津校」の開校から数えて139年という長い歴史に幕を下ろしました 。この学び舎はなくなりましたが、地域の人々や卒業生の心の中には、たくさんの思い出とともに生き続けていることでしょう。

(2023年12月執筆)

懐かしい思い出が甦る方も多いのではないでしょうか。

在りし日の営みを今に伝える貴重な場所と言えそうです。

PHOTO: 廃校5000  様

 

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