Final 2000年3月31日 記事朝日村立茎太小学校 閉校のイメージ画像 History 124年

朝日村立茎太小学校 閉校

  • 文化・教育施設

歴史の荒波を越えて育まれた学びの原点

明治9年(1876)に上中島小学校茎太分教場として開設された朝日村立茎太小学校は、かつて「きくぷと」と呼ばれた三面川上流の豊かな集落に誕生しました。明治35年(1902)の千縄分教場との統合や、大正6年(1917)から昭和18年(1943)まで設置された岩崩冬季派出場など、豪雪地帯特有の厳しい自然環境の中でも学びの灯を絶やすことなく歴史を重ねました。昭和26年(1951)には悲願の独立を果たして三面村立茎太小学校となり、昭和29年(1954)の合併により朝日村立茎太小学校へと改称されました。昭和55年(1980)には近代的な新校舎も完成し、約124年にわたり地域教育の拠点としての役割を果たしました。


豊かな自然と地域が育んだ温かな絆

同校では、豊かな自然を生かした5月中旬の「ワラビ採り大会」が春の恒例行事でした。児童が収穫した山菜は農協へ出荷され活動資金となりましたが、のちに価格が下落した際には、教職員が自腹で買い取って子どもたちの努力に応える温かい交流もありました。また、かつて茎太小学校で始まった「こぶし太鼓」の伝統は地域の誇りとなり、近年の引き継ぎ式を経て現在の小川小学校へと大切に守り継がれています。


時代のうねりと校舎が辿る現在の姿

過疎化に伴い、同校は平成12年(2000)に統合され、124年の歴史に幕を閉じました。閉校後の校舎は一時的に「奥三面歴史館」として活用されたものの、平成17年(2005)に新館が開館して以降は倉庫のように静まり返っています。また、昭和51年(1976)に建築された体育館は老朽化が激しく、村上市の計画により廃止への調整が進むなど、時の流れとともにその姿を大きく変えています。


記憶に刻まれた学び舎への敬意と未来

学び舎の風景は変化しても、地域の人々の心には子どもたちの歓声や太鼓の音が鮮明に残っています。令和5年(2023)7月1日に地域協議会による防災イベントが開催されるなど、住民の温かい繋がりは今も健在です。激動の時代を生き抜いてきた旧茎太村の歴史とともに、かつてこの地で育まれた教育の精神と郷土への愛着が、これからの未来を生きる人々の心の拠り所として末永く受け継がれることが願われます。

(2025年6月執筆)

懐かしい思い出が甦る方も多いのではないでしょうか。

 

在りし日の営みを今に伝える貴重な場所と言えそうです。

PHOTO: 廃校5000  様

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