Final 1989年3月31日 記事吉川町立勝穂小学校 閉校のイメージ画像 History 76年

吉川町立勝穂小学校 閉校

  • 文化・教育施設

1913年(大正2年)4月、勝穂小学校は山間に点在していた赤沢、泉、伯母ケ沢(おばがさわ)といった集落を「勝穂」という一つの名の下に結びつける、地域共同体の核として誕生しました 。当時、正式な地名ではなかった「勝穂」を校名に冠したことは、教育を通じて地域に一体感を醸成しようとした先人たちの強い意志の表れと言えます。

「越後杜氏の里」として知られるこの地は、冬には深い雪に覆われる豪雪地帯です 。子どもたちは、厳しい自然環境の中でスキーに親しみながら、たくましさと郷土への愛着を育んだことでしょう。校庭の隅に今も残る遊具や卒業制作のオブジェは、ここで過ごした子どもたちの賑やかな声と笑顔を偲ばせます 。しかし、時代の流れと共に過疎化と少子化が進行し、1987年には全校児童数が30名にまで減少しました 。そして、地域に惜しまれながらも75年の歴史に幕を下ろし、1989年3月に閉校。翌4月、他の4つの小学校と共に新設の吉川町立吉川小学校(現・上越市立吉川小学校)へと統合されました 。

現在、往時の面影を色濃く残す木造校舎は、地域の公民館「勝穂分館」として活用され、その歴史を今に伝えています 。商業施設への転用ではなく、地域住民の集いの場として記憶を継承する道が選ばれたのです。長きにわたり地域の教育を支えた運営主体に深く敬意を表します。 卒業生や教職員の方々にとって、この学び舎での思い出は今も心に鮮やかに蘇ることでしょう。

(2024年5月執筆)

 

長年に渡り、地域の子供達をお守り頂きありがとうございます。

 

当校の歴史と伝統は永遠に語り継がれることでしょう。

PHOTO: 廃校5000  様

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