Final 2006年3月31日 記事南山城村立野殿童仙房小学校 閉校のイメージ画像

南山城村立野殿童仙房小学校 閉校

  • 文化・教育施設

厳酷な自然を切り拓いた高原の学び舎

明治2年(1869)、職を失った旧武士らの救済を目的に京都府主導で始まった童仙房の開拓は、標高約500メートルの厳しい寒さと貧困との闘いでした。明治5年(1872)には高原の行政機能集約とともに小学校が誕生しましたが、極度の窮乏から弁当を持参できず、午後にしか登校できない子供たちが多数にのぼるほどでした。室町時代からの歴史と武士の気骨を宿す野殿地区とともに歩んだこの学校は、昭和18年(1943)の戦時下での住民負担による校舎改築や、昭和28年(1953)の南山城大水害による孤立経験から生まれたシェルターを兼ねた鉄筋コンクリート造の校舎など、常に地域の命の要塞として機能し、過疎化が進むなかの昭和57年(1982)に悲願の独立校への昇格を果たしました。


苦難を乗り越え固く結ばれた地域の絆

保育園がなかった時代、母親たちは茶畑のあぜ道に置いた竹籠に我が子を寝かせて農作業に励んでいました。昭和54年(1979)には住民が自力でプレハブの保育園を建て、傾く床の中で温かい保育を行いました。昭和44年(1969)の開拓100周年には、全住民が寺に集まり先祖の苦労を語り合って「村中総泣き」になるなど、厳しい自然の中で育まれた深い共同体の絆がこの地には息づいています。


伝統を紡ぎ変える新たな文化の拠点

過疎化と少子化の波には抗えず、平成18年(2006)に南山城小学校へ統合される形で134年の長い歴史に幕を下ろしました。しかし、閉校後も体育館はスポーツ合宿等に活用され、若者の声が響いています。さらに、平成29年(2017)頃からはプール小屋がギャラリーへと姿を変え、旧保育園もカフェへとリノベーションされました。美しい縦畝の茶畑が広がる地で、新たな交流の場が生まれています。


開拓の精神を胸に輝かしい未来への歩み

不毛の山林を切り拓き、飢えや災害を乗り越えて学びの灯を守り続けた先人たちの不屈の魂は、現代の移住者やクリエイターたちの挑戦の中に確かに受け継がれています。住民自らが歴史を調査し、新たな時代を紡ぎ出す自負を持ったこの地が、今後も豊かな自然と調和しながら温かい絆を絶やすことなく、次世代へと受け継がれていくことが心から願われます。この地に刻まれた確かな歴史の記憶は、これからも形を変えて人々の間で受け継がれていくことでしょう。

(2026年5月執筆)

卒業生・先生・地域住民など関係者様の心の中に、美しい思い出が永遠に記憶されますように。

PHOTO: 廃校5000  様

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