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【通称】荒尾二造

  • 建物・施設

熊本県荒尾市に、かつて旧日本陸軍の一大拠点であった「東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所」、通称「荒尾二造」がありました。市総面積の19分の1にも及ぶ約100万坪の敷地を誇った、巨大な火薬工場です。

1939年に用地買収が始まり、火薬原料となる石炭を産出する三井三池炭鉱や、砲弾を製造する小倉造兵廠に近いという地理的条件からこの地が選ばれました。1943年には本格的な火薬生産が始まり、最盛期には約3000人が働きました。戦況の悪化に伴い労働力は深刻に不足し、その中核を担ったのは、学業を中断させられ全国から動員された10代の少年少女たちでした。

終戦後、この広大な跡地は学校や病院、工場、住宅地へと姿を変え、軍事施設がそのまま現代の荒尾市の礎を築くという特異な歴史を辿りました。現在も市内には、連合国軍の接収番号が残る変電所跡や、民家の車庫などに転用されている弾薬庫跡が点在し、戦争の記憶を静かに伝えています。荒尾二造は、戦争の記憶を物語る戦争遺産であると同時に、市の発展に影響を与えた近代化遺産でもありますが、現在、公的な文化財指定は受けていません。

市民の会による平和資料館の運営など、その歴史を調査し後世に伝えようとするたゆまぬ努力には、深く敬意が表されます。日常風景に溶け込む歴史の痕跡を辿り、平和の尊さを考える旅に、歴史ファンの方はぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。

(2025年10月改筆)

PHOTO:PIXTA

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