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烏帽子坑跡

  • 建物・施設

海軍が待った石炭

牛深を中心とする天草南部の炭田は、明治の頃、高い熱量を持つ無煙炭を産出していました。地元でキラ炭と呼ばれたこの石炭は、燃やしたときの熱量が極めて高く、煙が出にくい。軍艦の燃料として、海軍から大きな期待が寄せられていました。その採掘を目指して、1897年(明治30年)に天草炭業株式会社が立ち上げられます。発起人の帆足義方氏らは東京の京橋区で会社を設立し、開発に着手しました。拠点に選ばれたのは陸ではなく海の上です。下須島の西岸から約200m沖合にある岩礁、烏帽子瀬に坑口が築かれました。

 

岩礁の上の赤レンガ

陸地から離れた沖合の岩礁に坑口を設け、その遺構が今も残る例は、国内の産業遺産のなかでもまれとされます。坑口は赤レンガ造りのアーチで、開口部は幅、高さともに約2.2m、土台から上部までの高さは約6.5mあります。レンガの接合には、赤土に松ヤニを練り込んだものが用いられ、5層に塗り重ねて強固にしたと伝えられています。周囲と背後の天然の岩礁は石造りの防波堤に組み込まれ、東シナ海の波から坑口を守る設計になっていました。ここから、海面に露出していた炭層を追って、海底へと斜めに坑道が掘り進められます。頭上に海水を抱えた、危険の大きな掘進でした。

 

海に阻まれた3年余り

坑道を深く掘るにつれて、坑内には海水が激しく湧き出すようになりました。対策は難航し、事業の継続は困難になります。1897年(明治30年)の創業から、操業が中止された1900年(明治33年)頃まで、炭鉱として動いたのはわずか3年から4年ほどでした。軍艦の燃料として期待された計画は、坑口を守ってきたはずの海そのものに阻まれた形です。その後長い時を経て、1992年(平成4年)12月2日、烏帽子坑跡は旧牛深市の市指定史跡となり、現在の天草市に引き継がれています。

 

夕陽の向こうのアーチ

築造から120年余り、赤レンガのアーチは数十回もの台風と荒波を受けながら、今も海の上に立っています。レンガの目地や防波堤には風化と部分的な崩れが進みつつあります。海上の孤立した場所であることと、遺構を傷めないために、上陸は禁じられています。見学は対岸の下須島、小森海岸などの陸側から遠く望む形になります。坑口の背後の水平線に沈む夕陽の眺めは、日本の夕陽百選に選ばれました。夕暮れの時刻に合わせて、小森海岸から赤レンガのアーチを眺めてみてはいかがでしょうか。

(2026年9月執筆)

この地ならではの歴史ロマン溢れる光景です。

PHOTO:写真AC

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