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【東京湾要塞】猿島砲台跡

  • 建物・施設

東京湾を防衛する要塞として歩んだ歴史

神奈川県横須賀市沖に位置する猿島は、弥生時代から人々が生活の営みを紡いできた歴史ある島です。江戸時代末期に外国船への防衛策として台場が築かれた後、明治14年(1881)11月には陸軍省の管轄となり、東京湾防衛の要として西洋技術を導入した本格的な要塞の建設が始まりました。明治17年(1884)6月に竣工を迎えると、島内には精緻なレンガ造りの兵舎やトンネル、弾薬庫、そして兵士たちが待機する棲息掩蔽部などが整備されました。かつては巨大な加農砲が据えられ、夜間は強力な電燈が波間を照らすなど、首都防衛の最前線として重厚な存在感を放つ全盛期を築き上げました。


赤レンガの壁面に刻まれた職人と人々の息遣い

島内に残る遺構は、当時の社会情勢や人々のドラマを今に伝えています。明治維新直後に製造されたフランス積みの煉瓦は、生活に困窮する士族の救済を目的に愛知県で設立された東洋組の手によるもので、新時代を生きる人々の汗と希望が宿っています。一方で、その後に導入されたオランダ積みのレンガは小菅集治監の囚人労働によって焼き上げられたものであり、当時の過酷な世相を映し出しています。


激動の時代を経て史跡へと生まれ変わった現在

大正12年(1923)の関東大震災で被災した要塞は、大正14年(1925)に陸軍砲台として廃止されました。戦後の米軍接収を経て、平成7年(1995)に公園として整備されると、現在は多くの人々が訪れる憩いの場となっています。平成27年(2015)3月10日には千代ヶ崎砲台跡と合わせた合計約6万6千平方メートル(猿島単体では約5万1千平方メートル)が国の史跡に指定され、平成29年(2017)以降も歴史的遺構を未来へ残すための3D測量調査などが進められています。


歴史の証人を未来へと語り継ぐための願い

かつて軍靴の音が響いた要塞は、時の経過とともに豊かな緑に包まれ、平和を象徴する島へと生まれ変わりました。過酷な自然環境のなかで貴重な赤レンガの遺構を後世へ残そうと、日夜奮闘を続ける専門家や関係者の方々の熱意には深い敬意を表せざるを得ません。歴史の生き証人であるこの美しい島が、今後も永く保護され、平和の尊さを伝える象徴として守り継がれることが切に願われます。

(2026年6月執筆)

国を守ろうとした先人達の存在を忘れてはいけません。

PHOTO:PIXTA

戦争の傷跡を今に伝える戦争遺跡。当地もその一つです。

戦争を知る旅 ー軍事要塞を訪れる― 三枝妙子写真集

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