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五新鉄道跡

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大正期から紡がれた幻の鉄路の歴史

大正8年(1919年)の国会陳情に始まった五新鉄道計画は、近代化への大きな期待を背負い、大正11年(1922年)に予定線へと指定されました。関東大震災による凍結を経て、昭和11年(1936年)に五条から阪本間の着工が決定し、昭和14年(1939年)には待望の起工式(着工)を迎えました。戦時中の資材不足による中断を挟みつつも、戦後の昭和32年(1957年)に工事が再開され、昭和34年(1959年)には五条から城戸間の路盤が完成しました。しかし、林業の衰退や自動車社会への移行といった時代の波に抗えず、計画はバス運行へと転換されます。その後も山岳区間の延伸が試みられたものの、国鉄の財政難から昭和56年(1981年)に建設は中止され、大正からの壮大な夢は幻の鉄路となりました。


地域に息づく記憶と土木遺構の風景

鉄路の夢は途絶えたものの、昭和40年(1965年)から未成の路盤を利用したバス専用道が整備され、現在のBRT(バス・ラピッド・トランジット)の先駆けともいえる画期的な交通風景として人々の生活を支えました。この地を舞台にした映画が国際的な評価を得るなど、五新鉄道の遺構は地域に深く息づいています。現在は、巨大な高架橋のアーチ下の空間が倉庫や店舗として活用されているほか、静寂に包まれたトンネル跡が宇宙観測施設として再利用されるなど、独特の景観的価値を生み出しています。


運行終了からウォーク専用道への転換

半世紀近く住民の足を支えたバス専用道ですが、トンネルなどの老朽化により、平成26年(2014年)9月末をもって運行が終了しました。しかし、歴史的な遺構を未来へ繋ぐ試みが始まり、令和4年(2022年)の時点では、市役所に許可を得ることでウォーキングイベントなどでの通行が可能となっていました。さらに、令和6年(2024年)3月11日には、一部区間が常時歩けるウォーク専用道として一般開放され、新たな観光資源として注目を集めています。


先人の遺志を継ぎ未来へ語り継ぐ

険しい紀伊山地に挑み、何代にもわたり壮大な鉄路の夢を追い求め続けた先人たちの情熱と、過酷な工事に携わった関係者の功績には深い敬意が表されます。一度も列車が走ることのなかったコンクリートの造形物は、今や形を変えて地域を魅了する散策路へと生まれ変わりました。この幻の軌跡が、豊かな自然とともに新たな時代の遺産として、末永く人々の記憶に残り続けることが願われます。

(2023年7月執筆)

PHOTO:写真AC

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