浦添ようどれ
- 文化・教育施設
琉球王国の栄華を伝える極楽山の誕生
1265年から1274年(咸淳年間)にかけて、英祖王により浦添城跡の北側崖下に極楽山(ようどれ)が造営されました。「ようどれ」とは「夕凪」を意味し、眼下に広がる東シナ海の穏やかな風景に由来します。1350年から1405年(察度王統代)には、布積みという精緻な石積み技術を用いた外周擁壁が築かれ、荘厳な王陵としての姿が整えられました。1620年(万暦48年・泰昌元年)には尚寧王によって改修され、一族の陵墓となります。かつては豊かな交易の息吹を伝える品々が集まり、活気に満ちた空間でもありました。
歴史の荒波と人々の祈りが交差する聖地
浦添ようどれの足元には、戦前まで「ようどれ御墓番」を務める比嘉家の屋敷があり、日々の掃除の音や線香の香りが漂う穏やかな日常の風景がありました。1620年(泰昌元年)9月19日に逝去した尚寧王が東室に葬られたのち、1759年(乾隆24年)11月21日には王妃・阿応理屋恵の遺骨も天山陵から移され、多難な時代を生き抜いた夫婦は100年の時を経て再び寄り添うこととなりました。古琉球の葬墓制に基づく洗骨の習俗や一族の静かな語らいは、連綿と続く命の繋がりを現代に伝えています。
戦禍からの復興と2005年(平成17年)の復元
1945年(昭和20年)の沖縄戦において、激しい砲弾の雨を浴びた浦添ようどれの優美な石積みは跡形もなく破壊されました。終戦直後は建設用コーラル材として石積みが持ち去られるなど荒涼たる岩山へと姿を変えましたが、1955年(昭和30年)に琉球政府文化財保護委員会によって墓室が修復されます。その後、1989年(平成元年)8月11日に国指定史跡となり、2005年(平成17年)には復元整備が完了しました。
往時の静穏を今に伝える極楽浄土の風景
自然の地形を活かした壮大な建築空間は、暗闇から光へと至る劇的な演出が施され、一番庭は四方を高い石牆に囲まれて極楽浄土の静穏を保っています。かつて戦火を潜り抜けたこの聖地が、今後も琉球の歴史と文化を象徴する場所として末永く守り継がれることが願われます。高台からは浦添の街並みと広大な東シナ海を見渡すことができ、尚寧王が愛した夕凪の穏やかな風が今も訪れる人々を優しく包み込んでいます。
(2023年10月執筆)
PHOTO:写真AC
第2次世界大戦の激戦地「前田高地」。浦添ようどれが位置する場所です。
「ハクソー・リッジ」は、第二次世界大戦の沖縄戦を舞台に、銃を持たずに戦場へ赴いた衛生兵デズモンド・ドスの実話を描いた感動作です。敬虔な信仰から人を殺すための武器を持つことを拒みながらも、仲間を救うために誰よりも危険な前線に立ち続けるという彼の信念は、周囲からの偏見や軍からの圧力をはねのけていきます。メル・ギブソン監督による凄惨で迫力ある戦闘描写と、アンドリュー・ガーフィールドの渾身の演技が、観る者の胸を強く打ちます。たった一つの揺るがぬ信念が、いかに多くの命を救い得るかを静かに、そして力強く問いかける、勇気と人間性をめぐる物語です。







