野辺地防雪原林
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鉄路を猛吹雪から守る日本初の鉄道防雪林の誕生
1891年(明治24年)9月に全通した東北本線は、過酷な冬の地吹雪による列車の立ち往生に悩まされていました。従来の雪覆いは強風や蒸気機関車の火の粉に弱く、根本的な解決が求められる中、1892年(明治25年)にドイツ留学から帰国したばかりの青年林学者である本多静六博士が森林による防雪を提言しました。この案に日本鉄道の役員であった渋沢栄一が賛同し、1893年(明治26年)春に日本鉄道の長谷川謹介のもと、本多博士の指導により日本初の鉄道防雪林が植樹されました。成長した木々は線路への吹きだまりを劇的に減らし、1901年(明治34年)から1928年(昭和3年)にかけて古い雪覆いを不要としました。さらに林の成長に伴って発生する材木を駅舎の建築用材やマクラギに加工し、余剰の丸太を売却して得られる収入で維持管理経費を十分に賄うなど、自立した財源としての経済林経営も確立され、鉄道発展の礎を築いたのです。
功績を称える記念碑と地域を超えた温かな交流
1940年(昭和15年)に本多博士の直筆による石碑が建立された後、この森は1960年(昭和35年)10月14日に鉄道記念物第14号に指定されました。100周年を迎えた1992年(平成4年)には記念公園が整備され、これが縁となって博士の生まれ故郷である旧菖蒲町(当時)と友好都市提携が結ばれました。その後、市町村合併により提携は一度失効したものの、2013年(平成25年)8月29日には改めて埼玉県久喜市との間で友好都市提携が再締結されました。先人の功績を伝える緑の存在は、時代を超えて地域の人々を結びつける温かい交流の架け橋となっています。
現代に受け継がれる緑の遺産と地域の新たな歩み
現在も約6740平方メートルの敷地に約21190本の杉や約1000本の唐松が佇む防雪原林は、2010年(平成22年)12月に青い森鉄道株式会社へ引き継がれ守られています。2013年(平成25年)8月30日には120周年セレモニーが開催され、駅周辺の整備も進みました。周辺には北前船の歴史を伝える常夜燈などの史跡が点在し、地まきホタテや葉つきこかぶといった豊かな産業とともに、歴史ある風景が現代の暮らしの中に息づいています。
先人の知恵を未来へ繋ぐ不変の防雪林への敬意
過酷な豪雪から鉄路の安全を支え、日本の近代化に貢献した野辺地防雪原林。この壮大な計画を実現へ導いた本多静六博士や渋沢栄一をはじめ、今日まで森を大切に育ててきた関係者様の並々ならぬご尽力に対し、深い敬意を表します。今なお威厳ある姿で私たちを迎えてくれる美しい緑の壁が、これからも地域の誇りとして大切に守り継がれ、次世代の安心な暮らしと発展を静かに見守り続けることが強く願われます。
(2026年7月執筆)
「日本の公園の父」本多静六氏。巨万の冨を築いた投資家でもあります。
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