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安治川トンネル

  • 建物・施設

渡し舟の川に、新たな道を求めて

1684年(貞享元年)に河村瑞賢によって開削された安治川は、大阪の物流を支える大動脈として多くの船で賑わっていました。大型船の航行を妨げるため橋を架けることができず、両岸の行き来は長らく渡し舟に頼るしかありませんでした。1873年(明治6年)には一度「安治川橋」が架けられたものの、1885年(明治18年)の大洪水で爆破撤去され、再び無橋地帯となります。大正から昭和へと時代が進み自動車が街を走るようになると、安全に川を渡る陸上ルートの建設が切実に求められるようになりました。1000トン級の船の航行を妨げずに橋を架けることは非現実的だったため、大阪市は川底をくぐる自動車用トンネルの建設計画へと踏み切ります。1931年(昭和6年)に設計が着手され、1935年(昭和10年)12月8日に着工。日本初の沈埋工法を採用したこのトンネルは、第二次世界大戦前の日本で建設された唯一の道路用河底トンネルとなりました。


昇降機とともに歩んだ、地下の日常

トンネル本体は現場ではなく造船所のドックであらかじめ製造され、高さ7.0メートル、重量約4500トンにも及ぶ巨大な筒として川面を曳航されて現場まで運ばれました。着工から9年、太平洋戦争の戦火が激しさを増す1944年(昭和19年)9月15日に竣工。完成時は車用・人用のエレベーターで地下へ降りる方式が採られましたが、1945年(昭和20年)6月の戦災で歩行者用エレベーターが被害を受け、戦後しばらくは車用エレベーターに人と車が一緒に乗り込む混乗運用が続きました。1961年(昭和36年)の歩行者用エレベーター修理を経て、同年には1日8500人もの歩行者が利用するほどの賑わいを見せました。しかし1963年(昭和38年)の安治川大橋開通や自動車の大型化により、1977年(昭和52年)には車両用エレベーターが完全に閉鎖されました。


老朽化と、それを乗り越えた技術

建設から時を経て、コンクリートの中性化や鉄筋の腐食など深刻な老朽化が判明します。この危機に対し、古い構造物の内側に新たな箱桁構造を構築する大掛かりな補強工事が行われ、1984年(昭和59年)に完成しました。新旧の構造が協同することで、将来の荷重増加にも耐えうる堅牢な地下道へと生まれ変わっています。2024年(令和6年)10月の視察でも漏水などはなく、健全な状態が確認されました。


歩いて渡る、水都の記憶

現在の安治川トンネルは、此花区西九条と西区安治川を結ぶ歩行者・自転車専用の道として、通勤や通学、買い物に急ぐ市民の身近な足であり続けています。明るく清潔に保たれた通路には防犯ベルも設置され、女性や子供たちが夜間でも安心して通行できるよう配慮されています。南北の入り口には戦中とは思えないモダンなデザインの建屋が今も残り、過ぎ去った昭和の空気を今に伝えています。2006年(平成18年)には土木学会の選奨土木遺産に認定され、日本の土木技術の歴史を語る上で欠かせない建造物として、その名を刻み続けています。

(2026年7月執筆)

現在でも多くの人が利用する現役のトンネルです。

 

希少な歴史を有する場所の一つと言えそうです。

PHOTO:写真AC

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