関西将棋会館 移転
- 建物・施設
関西将棋会館の歴史は、1927年に大阪市北区老松町に関西支部事務所が設置されたことに始まります。その後、1937年に北区紅梅町へ移転し、1941年には関西支部から関西本部に昇格しました。戦時中の1942年には疎開対策のため一時閉鎖されましたが、戦後の1946年に北区芝田町で再開されました。1949年には住吉区粉浜東ノ町に初の持ち家を得て、1953年に阿倍野区北畠東へ移転しました。
1981年7月11日、大阪市福島区福島に新築5階建ての関西将棋会館がオープンしました。この建物は約40年にわたり、西日本の将棋界の中心地として機能してきました。しかし、建物の老朽化が進み、2018年6月に「会館建設準備委員会」が設置されました。2021年2月には、高槻市への移転方針が決定されました。
旧関西将棋会館は2024年11月28日に最後の公式戦を行い、その役目を終えました。同年12月3日、JR高槻駅近くに新たな関西将棋会館がオープンし、新時代を迎えています。新会館は地上5階建てで、将棋の普及と発展に寄与することが期待されています。
(2024年12月執筆)
PHOTO:PIXTA