Final 2017年3月31日 記事新潟市立満日小学校 閉校のイメージ画像 Final 144年

新潟市立満日小学校 閉校

  • 文化・教育施設

信仰と歴史に彩られた144年の歩み

明治6年(1873年)、のどかな村落の風景の中に「下新校附属満願寺分校」として産声を上げたのが、新潟市立満日小学校の始まりです。明治22年(1889年)には近隣の村々が合併して満日村が誕生しましたが、その地名は「満願寺」と「七日町」から一文字ずつ取って名付けられたと考えられており、満願寺の鐘の音や報恩法要を思わせるような、厳かで縁起の良い響きを持っています。大正14年(1925年)の新津町への編入を経て、戦後の昭和22年(1947年)に独立した学び舎として再出発。昭和26年(1951年)からは中学校も同じ敷地内に設けられ、小中学生の活気ある声が交差する教育の拠点となりました。平成12年(2000年)に建てられたパステルカラーの新校舎も、144年の歴史の最後を飾る学び舎として、田園風景の中で子どもたちを優しく包み込みました。


地域と響き合った最後を飾る太鼓の音

閉校を目前に控えた平成28年(2016年)の秋、学校は地域住民の手作り作品で温かく彩られました。同年11月の記念式典では、全校児童39名による「満日太鼓」の力強い重低音が体育館に響き渡り、子どもたちの真っすぐな感謝の言葉は、集まった約300名もの参列者の涙を誘いました。最後は卒業生も交えた校歌の大合唱が会場を包み込み、世代を超えた絆が一つになった瞬間は、今も多くの人々の心に深く刻み込まれています。


時代の転換点と受け継がれる新しい朝

少子化の波を受け、地域と保護者による苦渋の決断の末、平成29年(2017年)4月1日に阿賀小学校へと統合されました。現在は「子ども見守り隊」の温かい眼差しに見守られながら、児童たちはマイクロバスで新しい学び舎へ通っています。かつての校地に、令和3年(2021年)に新たなこども園が竣工しました。学び舎としての役割を変えながらも、再び幼い命の歓声が響き渡る場所として、地域の日常に活気を与えています。


永遠に刻まれた母校への誇り

白御影石の重厚な台座に黒御影石の銘板がはめ込まれた閉校記念碑には、144年にわたる輝かしい沿革と母校の誇りが刻まれています。記念誌に綴られた児童一人ひとりの「将来の夢」や、校庭に人文字で描いた「ありがとう」の航空写真は、たとえ校名が消えても色褪せることはありません。満日の地で育まれた不屈の精神と優しさは、新天地で羽ばたく子どもたちの糧となり、これからもこの街の未来を明るく照らし続けていくことでしょう。

(2025年4月執筆)

確かにここに学び舎が存在した。その証です。

 

卒業生・先生・地域住民など関係者様の心の中に、美しい思い出が永遠に記憶されますように。

PHOTO: 廃校5000  様

同じ都道府県の記事

同じカテゴリーの記事

ファイナルアクセス会社サイトはこちら

残り日数で探す

記事ランキング※24時間以内

Final Access Books

注目コンテンツ これが最後です

都道府県から探す