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旧小諸本陣

  • 文化・教育施設

加賀の大名行列を迎えた北国街道の宿

北国街道の小諸宿で、本陣と問屋を兼ねた上田家の屋敷として伝わるのが旧小諸本陣です。本陣は大名や幕府の役人が泊まる公認の宿で、上田家はその接待に加え、次の宿場へ荷物を送る人馬の手配も担っていました。現存する主屋は、天井板に残る文化11年(1814年)頃の墨書などから、18世紀末から19世紀初頭の建築と推定されています。街道に面した2階を出梁で張り出し、格子窓を連ねた外観が特徴です。宿場の記録には、朝廷からの勅使、佐渡から銀を運ぶ佐渡奉行、善光寺参詣の旅人など、さまざまな往来が記されています。1856年(安政3年)の「加賀中納言様御手当割渡帳」には、参勤交代で帰国する加賀藩前田家の一行を迎えるため、費用や人手を細かく割り振って準備した跡が残ります。宿役人の日記は、役人たちが寄合を重ね、公用の人馬の手配について話し合っていた様子を伝えています。

 

壁の裏から現れた旅人たちの記憶

2021年(令和3年)に始まった保存修理では、解体の過程で建物が重ねてきた歳月が次々に姿を現しました。地元のケーブルテレビは、ふすまの裏張りや壁の裏から江戸時代の宿札や関札、古文書が相次いで見つかったと報じています。現場見学会に参加した市民からは、普段は見られない奥まで見られてよかったという声が上がりました。同じ報道では、ふすま紙などから宿泊者の実態が解き明かされていくことが、修理の大きな見どころとして紹介されています。こもろ観光局の現地報告によれば、職人は和釘と洋釘の違いから後の時代の改修箇所を見分けました。木材には火災の焼け跡や、病院として使われた時代に手すりを付けるため削られた跡も残されていました。

 


宿場の終わりから令和の大改修へ

1888年(明治21年)に鉄道が通り小諸駅が開業すると、人馬で荷を継ぐ街道の仕組みは役目を終え、小諸の商人たちは製糸業に活路を求めました。旧本陣も明治の中頃に上田家から田村家へ渡り、病院が開かれるなど用途を変えながら使われ続けました。1973年(昭和48年)に国の重要文化財に指定され、1993年(平成5年)には当時の所有者が建物を小諸市へ寄贈しています。その後、老朽化が進んで倒壊の危険が迫ったため、市は保存修理に踏み切りました。当初の図面が残っていないため、市などは古い絵図や写真の提供を広く呼びかけています。発掘調査では、問屋場と本陣の座敷棟を結んでいた廊下状の建物の礎石が確認されました。建物はいったん曳家で移されたのち、約40cm嵩上げした新しい基礎の上へ戻され、2027年(令和9年)の完成を目指して工事が続けられています。

 


街道の記憶を未来へ手渡す

旧小諸本陣は、大名行列を迎えた宿役人たち、明治以降に建物を受け継いだ田村家、寄贈によって公的な保存への道を開いた当時の所有者、そして令和の修理に携わる職人や見守る市民の手によって、長い歳月を越えて受け継がれてきました。市は完成後、文化財としての価値を損なわない形での展示や活用を計画しています。近くの小諸城大手門や三之門とあわせ、小諸駅周辺を歴史と文化にふれる交流の拠点とする構想も描かれています。修理を終えた本陣が再び街道に姿を見せたとき、宿場の記憶を宿す格子窓を自分の目で確かめてみてはいかがでしょうか。

                        (2026年10月執筆)

PHOTO:PIXTA

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