Final 2001年3月31日 記事山内村立黒沢小学校 閉校のイメージ画像 History 127年

山内村立黒沢小学校 閉校

  • 文化・教育施設

奥羽山脈のふもとに芽生えた学び舎 ― 山内村立黒沢小学校の歩み

秋田県平鹿郡山内村(現・横手市)黒沢地区に黒沢小学校の歴史が始まったのは1874年(明治7年)6月10日のことでした。当初は独自の校舎を持たず、集落の個人宅を借りた仮の学び舎からの出発でした。1889年(明治22年)の町村制施行により山内村が発足すると、学校は山内小学校の黒沢分教場として位置づけられ、1947年(昭和22年)には山内中学校黒沢分校が併設される小中併置校となります。そして1954年(昭和29年)4月1日、地域の強い要望を受けて黒沢分教場は山内村立黒沢小学校として念願の独立を果たしました。ちょうどこの頃、周辺の山域では「黒沢鉱山」「平田炭鉱」が明治中期から昭和30年代にかけて全国にその名を知られる優良な採鉱地として栄え、渓谷沿いには労働者の木造長屋が立ち並び、教室は鉱山で働く親を持つ子どもたちであふれていました。


豪雪から学校を守った半日、そして山あいに響いた子どもたちの声

小学校と中学校が同じ屋根の下にあった時代、休み時間には山あいの校庭に子どもたちの歓声がこだましていました。1978年(昭和53年)の冬、黒沢地区は例年にない寒波に見舞われ、木造校舎の屋根には建物を押し潰しかねないほどの雪が積もります。同年3月2日付の『秋田魁新報』夕刊は「豪雪から学校守れ」の見出しでこの危機を伝えました。集落の大人たちはシャベルを手に一斉にグラウンドへ駆け集まり、若い父親からお年寄りまでが呼吸を合わせて屋根の雪を下ろし、わずか半日で校舎を守り抜いたといいます。積雪3メートルを超えるこの地は「秋田のチベット」とも呼ばれ、国道107号の地下には児童の通学の安全を守るための横断道も設けられていました。


統合、そして更地に残された記念碑

少子化の進行により、2001年(平成13年)、120年以上にわたり地域の中心であり続けた黒沢小学校は本校の山内小学校へと編入統合され、その歴史に幕を下ろしました。2005年(平成17年)10月1日には山内村が近隣市町村と合併し横手市となり、「山内村」の名も地図から消えます。昭和初期に建てられた切妻屋根と白漆喰の美しい木造校舎は、2018年(平成30年)10月20日時点の記録によれば、すでに解体され平坦な更地となっていました。跡地には閉校記念碑と立村100周年記念碑が並んで佇み、かつて子どもたちが行き交った国道下の地下道の入り口だけが、静けさの中にひっそりと残されています。


国境の山あいに刻まれた記憶への敬意

秋田県最東端、奥羽山脈を挟んで岩手県西和賀町と隣り合うこの地域は、岩手側のテレビ放送が届くほど生活圏が近く、鉱山の繁栄と豪雪という厳しい自然の両方を抱えながら独自の暮らしを育んできました。学校がなくなり更地となった今も、そこに刻まれた地域の絆と子どもたちの記憶に、静かな敬意を捧げたいと思います。

(2026年8月執筆)

実に美しい学び舎です。

 

卒業生・先生・地域住民など関係者様の心の中に、美しい思い出が永遠に記憶されますように。

PHOTO: 廃校5000 様

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